一劇の芝居
4月15日(日)
管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
人が生きることは、一つの芝居であります。
(それぞれが、それぞれの役を演じているのであります。)
何においても私達の仏心・仏性がどういう役をやろうとも
減ることはないのであります。
失敗した、うまくいかなかったと落ち込んだとしても、
それはそういう一つの役柄のつもりでおれば、
それほどのことはないと見ることはできないだろうか。
人は仏心・仏性の一劇の芝居を一生の間演じるんで
あります。主役をやったり脇役をやったり、良い役であったり
悪役であったり・・・。
(八百屋さんであったり、主婦であったり、お父さんなど
めいめいが様々な場面で演じているのであります。)
良い役しかできない、時には悪役もできなければ
さみしいではありませんか。(主役になったり、脇役に
なったり、その場その場で自由自在に入れ替わる
ことができればおもしろい。)
(時代劇でいうなら)斬られる方も見事にできる。
斬られる役になったからといってその人の仏心・
仏性がかげることは全くなく見事に演じきれば
逆に一段と輝かせることもできるのです。
何事も仏心・仏性の一劇の芝居であります。
射干(しゃが)、別名胡蝶蘭でしす。<黄梅院>
円覚寺山内のあちこちに咲いてきました。
こちらは、浦島草。よく見ると花の先端から
ニョキニョキと釣り糸状のものが見えますね。
これを浦島太郎が持っている釣り竿の釣り糸
に見立てたことから「浦島草」とされているとのこと。
植物も役柄は様々です!