種智を円かにせんことを
4月14日(土)
管長様が土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
お釈迦様の最後の教えは何ですか?と問われたとき
鈴木大拙先生は「依頼心を捨てよ。」と答えられました。
何かに頼ろうとする心を捨てなさいということです。
お経に「自灯明 法灯明」とあります。自らを灯とし
自らをより所とせよということであります。
何かに頼ろうとする限り、人は本当の安らぎを
得ることはできない。そこで「自灯明 法灯明」
なのであります。
無我の教えを説く仏教が自分をより所とせよと
言うのは、一見矛盾しているようですが、その
より所とする「自分」とは、いったい何でありましょうか?
それは、自分だ!オレだ!と主張するこの小さな肉体の
かたまりでもなければ、外の出来事に反応するわずかな
精神のはたらきでもありません。たったこれだけのものが
本当の自分なのでは決してありません。
本当の自分は、より所となる自分は、もっと深く
大いなるものなのです。もともとは私達の命は
大自然と一枚、大自然の一部、ほんのひとかけらで
あります。そのことは、大自然と私達の命は地続きで、
ここからここまで自分のものと区切りをつけるものは
ありはしないのであります。この大自然・大いなる命を
より所とするのであります。
坐禅をして心を静かにすると智慧が出てきます。
自分と他人との関わり合いがよく見えてくる。
小さな自分ではなく、周りと全部一つにつながっている
自分が見えてきます。そうすると他人の苦しみや
悲しみを自分のことのように感じ察する慈悲の心が
育ってきます。その慈悲の心が一番のより所と
なるのであります。
お経の最後に「種智を円かにせんことを」と
祈りの言葉を唱えます。種の中では必ず芽を出して
葉を伸ばして花開くだけのものがすべて備わっています。
そのように私達めいめいの心の中にも、心を静めさせて
智慧の花を開き、慈悲の心をはたらかせることのできる
力をみんな生まれながらに持っているのであります。
「円かにせんことを」とはその誰もが持っている
素晴らしい能力を十分に発揮することができますように
ということであります。
(後記)
本日の土曜坐禅会は、強い雨の中にもかかわらず
初心者の部55名、2部56名と大勢の方々に
ご参加いただき、誠に有り難うございました。
円かにされてますね。しいちゃん。