菩提心なき者は・・・
1月22日(日)制末攝心3日目
管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
「拘楼孫仏(くるそんぶつ)以来、菩提心なき者はことごとく魔道に
おつる。」と白隠禅師は繰り返し仰せになっています。
遠い昔の仏様以来、「菩提心」つまり仏心(自分を救うよりも
人様を救っていこうという心)を持って修行しない者は、みんな
悪い方向へいってしまうということであります。
法華経に、人々を思いやり、いくつしむことはまるで赤子を
思いやるようにという言葉があります。私達は、己の仏心を
いかにはたらかせていくのかが修行であります。
今朝こんなことがありました。一人が午前3時頃にお寺に
不審者が現れて去っていったと報告に来ました。また、
別の一人から、境内に雨に濡れた迷子がいるから、
熱海の方まで送っていくので参禅に遅れますと連絡が
ありました。
話をよく聞いてみると同じ人を見て、片方は不審者だといい
もう片方は困っている迷子と言っていたのでした。
不審者と言った方は、そのまま日常通り朝のお経を読み
坐禅をし、迷子と言った方はその人にコンビニで食事を
買ってあげたりしながら、よく話を聞くと、知的障害を持った
青年で西の方から電車に乗ってきてお寺に迷い込んだと
いうことでした。そして、ご家族の方に連絡して熱海まで
付き添って行ってあげたのでした。
この場合、坐禅をしお経を読むことが菩提心でしょうか。
親切に送り届けてあげることが活きた仏心・仏性のはたらき
ではないでしょうか。
法華経に「仏様の部屋に入り、仏様の衣を着て、仏様の
座席に座る」とあります。つまり、大慈悲の心を部屋とし
柔和・忍辱を衣として生きるとうことであります。
一人の人を見てこの人をどう見るか?どう
慈悲の心を持って接することができるか?
大切な課題であります。
(後記)
この件は、「不審者」に思ったのは和尚さんで
「困っている迷子」に見たのは、臨床心理士を
していて、参禅もしている居士の方でした。