己なき者にこそ
1月23日(月)制末攝心中日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
「護生(ごしょう)は須く是れ殺すべし
殺し尽くして始めて安居(あんご)」と言う言葉があります。
「護生」とは命を守ること、今風に言えば命を全うすること
また、人様の命を救うことであります。「殺し尽くす」とはいったい
何を殺すべきなのでしょうか?学者の方は、それは仏見だ、法見だ
知識だ、分別だといろいろと言われていますが、殺すべきは
我(われ)の一点であります。
自我意識・「オレがオレが」という心、この一点を殺し尽くすのであります。
そうして本当に無心・無我のはたらきこそ、一番命を活かし、相手を
救っていくことになるのであります。
新聞記事にこういうことが書いてありました。この頃よく
「傾聴ボランティア」という言葉をよくきくようになりました。
人の苦しみをこう聴いて差し上げる活動です。ところが
これがなかなか難しい。
困っている人のところにあんまりいろんな人が傾聴ボランティアに
行って、「苦しくはありませんか?辛くはありませんか?」と訊くもの
だから、むこうの人はもううんざりしているとのことでした。
聴いてあげようというような気持ち、つまり自我があると
むこうは救いとならないのであります。本当になかなか
難しいことであります。
そんな問題に対して全国犯罪被害者協会の代表をされている方
がこんなことを言われています。(この方も全く理不尽に奥さんを
亡くされている経験をされています。)
「あの時、まわりにいろんな人が来てくれたが一番救いに
なったのは朝晩必ず現れる野良猫でした。何もものを言わずに
黙ってやってきて、そして黙って帰って行く。あの野良猫が私に
とって最高の支えとなりました。慰めの言葉はいりません。」
野良猫にはなんとか癒してやろうとかそんな気持ちはかけらも
ありませんが、人を癒してしまう。これが無心・無我の妙なる
はたらきでありましょう。
「護生は須く殺すべし 殺し尽くして始めて安居」
殺すというと何やら物騒な表現ですけれど
己なきものにこそ 安らぎあり
であります。
(後記)
かなちゃん・しいちゃんに感謝ですね。