修行をさせていただくということ
12月13日(火)臘八大攝心6日目
管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
よく悟りとは何かといいますが、特別のことではありません。
今まで自分の迷っていた様子がわかるのが本当の悟りであります。
何と自分は小さなことで悩んでいたか。何と自分は自分のことしか
考えていなかったのか。何と自分はわがままであったことか。
何と自分のわがままなために周りの人に迷惑をかけてしまったことか。
こう、わかり気づくことが本当の悟りであります。
禪の問題にひたすらに取り組めば、自分の心の中にある
わだかまり、欲望、いらないものを自然と解け落ちていく、
抜け落ちていく。ただし、それは力をいれてやらないといけない。
ただぼやっとしていたのでは、いつまでたっても埒があきません。
我々がこうして修行ができるのは、修行の世界を守ってくださる
大勢の方々がいらっしゃるからであります。うちの僧堂は幸い
みなさん大勢の方のご供養のおかげで何不自由なく坐ることが
できます。
たいへん有り難いことの反面、あまり豊かになりすぎて有り難さが
わからなくなってしまうことをむしろ恐れています。
何気なくいただいているものの一つ一つ、みんないろんな人々の
ご供養の上に成り立っていることを忘れてはならないのであります。
典座がいただいたものを粗末にしないことはもちろん、我々も
大勢のご供養を決して無駄にすることのないように、一つ一つの
坐禅、一呼吸一呼吸を油断しないように最後までお願い致します。