受け継がねばならぬもの
12月11日(日)臘八大攝心中日
管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
以前に「法光」という冊子の中で坂村真民先生の「バスの中で」という
詩を引用致しました。大意を要約しますと坂村先生があるときバスに
乗っていました。折から核戦争の危機が叫ばれていた頃でしょう。この
地球はこれからどうなるのか、明日はどうなるのか不安に思っていると
一人の少女がきれいな花を自分よりも大事そうに高々と差し上げて乗り
こんできました。
幼い少女ですから、混んだバスの中で押し合って花を傷めてはいけないと
思って高々と差し上げていたのでしょう・その姿を見て坂村先生は、
ああ、これでよいのだと思いました。たとい明日、地球がどうなろうとこの
ような愛こそが、人の世の美しさなのだと。
たとえ核戦争で、この地球がどうなろうとそのぎりぎりの時まで、
こうした愛を失わずにゆこうと涙ぐましいまで清められるものを
感じたと詠われています。
その冊子を見た坂村先生の娘さんが、「いろいろな人に様々な詩が
引用されてきましたがこの詩を引用する人はほとんどなかった。
この詩を引用する人は父・坂村真民の詩を熟知する人である、
父の詩人たる感性を理解されている方だ。」と感動されました。
そこで、来年3月に開館する坂村真民記念館に管長様の書を
ぜひ掲げたいと管長様にお手紙をお寄せになりました。管長様は
一瞬にして迷わず次の詩を思い揮毫され、高校生の時からの先生との
親交などをつづった長い手紙とともに郵送されたそうです。
「衆生無辺誓願度」は平たく云えばみんなの幸せを願う心であります。
人間だけではなく、あらゆる生き物が命を全うするように願う心であります。
人の迷い苦しみを自分の苦しみとして受け止めてどうか救ってゆきたいと
いう心が火のように燃えているというこであります。
この心を私達も自分の心として「人に為に自分は一体何ができるのか?」
をよく考えて、それぞれがそれぞれの立場で「何かをしよう」ではありませんか。
(後記)
今月も先月に引き続き説教会後に、スジャータ・プロジェクト
(お坊さんによる被災者支援組織)の手ぬぐいを販売させて
いただきました。売り上げは、すべて被災者復興支援活動に
当てられます。最近、避難所に暖房器具を届けたそうです。
管長様がお話の中で、
「被災地の人にとりこれからの問題は「忘却」と「孤独」になる
だろうと言われています。私達は被災者のことを忘れはしない
という気持ちでご支援ください。」と仰せになっていました。
そのおかげもあって、今月もたくさんの方々にご厚意を
いただきました。誠に有り難うございました。