仏の眼(まなこ)
10月21日(金)攝心2日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
「大事因縁山よりも重し」という言葉があります。仏法の一番大切な
ことは山よりも重いんだという意味であります。
六祖・慧能禅師は字が読めなかった。しかしながら、お経の大切なところの
意味はわかったので、涅槃経や法華経のはっきりしないところを
他の人から尋ねられたそうです。そうすると慧能禅師は、字が読めないので
お経をその人に読んでもらって、それを聞いてお経のお経の大切なところを
みてとったと言われています。
法華経の中に、仏様は一大事因縁の為に世の中にあらわれるという
言葉があります。それでは、一大事因縁と何でありましょうか?
それは、めいめいの人々が誰もが生まれながらに持っている
「仏様の眼(まなこ)」を開いてもらうことであります。人を救う事は
食べ物が困っている人にそれをあげることや、住まいを提供するなど
いろいろありますが、本当に人を救うということは、その人その人に
智慧の眼、悟りの眼をひらいてもらうことが究極であります。
慧能禅師も、「自分自身が仏である!この自分の心以外に
仏はありやしない!」と気づくことだと言っています。
しかし、我々は実際は外の世界に執着して、貪り、ねたみ、いかりなどで
自分自身の本来の心を、本来の光明、心の光を見失ってしまっています。
「外に向かって求めるな!我々は仏様と無二、一体だ!」という句があります。
私達の心の本心・本性は、仏様と寸分かわりなく、一体であります。
めいめいこの私の心こそ仏である、外を見たら、姿形は違えども
みんな自分と同じ仏なんだと気づかせることが一大事因縁であります。
朝比奈宗源老師 揮毫 「大事因縁 山よりも重し」<僧堂>