雨安居開講
4月20日(水)
本日から、僧堂では、雨安居(夏安居)攝心(集中修行期間)の始まりです。
4月は20日から26日までです。
雨安居開講にあたって、管長様の偈です。
少室峰前(しょうしつほうぜん) 積雪多し
神光(しんこう) 臂を断つ 志(ここらざし)如何(いかん)
言うこと莫れ 隻履(せきり)西に帰り去ると
須く心源(しんげん)を究めて 達磨に見(まみ)ゆべし
老師が提唱されたことを抜粋してみました。
「大震災で未だに行方不明のままの方も大勢あり、避難所で不自由な暮らしを
される方も多くある中で、こうして衣食住保証されて、坐禅修行できることが
いかに有り難いことか、とりわけ身にしみています。
このたびの大震災が我が国にもたらす影響は計り知れないものがあります。
地震津波もさることながら、日々報道される度に悪くなる原発事故の影響も
はかりしれません。今後エネルギーの問題、環境の問題どれだけの大きな事に
なるのか不安はいまださめません。
そういう中、我々仏教者の真価もこれから問われていくことになります。
すでに一部ではかなり仏教者に対する批判の声も聞かれているようです。
お寺はなにもしないという批判です。
もちろん芸能人のような目立った活動が出来るわけではありません。
あの震災までは、葬式不要なる書物が話題になっていました。
しかし、今度の震災で、何のお弔いもされずに大きな穴を掘って、
埋葬される様子を新聞などで見て、誰もこれでよいとは思いはしません。
せめてお経をあげてもらいたいというのが偽らざる心情です。
葬式坊さんというと批判されますが、まずお亡くなりになった所に
出向いて、心を込めてお経をあげられる、そして親身になって
お弔いしてあげられる、こんな事がいかに大切なことか改めて
考えさせられました。
どうか、頼りとされる和尚になって、あの和尚さんにお経を
あげてもらいたいと言われるように、まずここでしっかり肚に
力を入れて坐って、お経の声が人の心にしみいるように、
苦労して修行してもらいますようお願いします。」
(後記)恐れながら、 偈を意訳してみました。
「ダルマさんが住んでいる山は、深い雪に覆われてきた。
そこに、ダルマさんに弟子入りを切に願う神光さんは、
`不退転`の志を示して、自分の臂を断ちなさった。
ダルマさんが草履を片手にもって西(インド)へ帰って
しまって、もう会えないなんていいなさんな。
おのおのが自分の心を掘り下げて、
自分の中にダルマさん(仏の心)があったと気づけ!」