宝厳寺とのご縁
十五日の舍利講式の終わった午後に、
愛媛県の道後にある宝厳寺から御住職はじめ檀信徒の方々がお参りくださいました。
宝厳寺は、一遍上人の生誕地であります。
詩人坂村真民先生は、一遍上人をこよなく尊敬され、禅の教えと共に一遍上人の教えは、
真民詩の柱となるものです。
私もまた、真民先生の『一遍上人語録 捨て果てて』を通して、一遍上人のことを学びました。
一遍上人は、熊野権現の神託を受けて独自の念仏の教えを弘められました。
また、紀州由良興国寺の開山法灯国師(心地覚心)について禅の教えも学ばれています。
熊野も興国寺も私に縁の深いものなので、私も親しみを覚えて学んできました。
そんなご縁が実って、先だって一遍上人と法灯国師とが問答したという神戸の宝満寺に、
一遍上人の和歌を私が揮毫して歌碑を建立され、記念講演も行ってきたのでした。
そんな一遍上人の生誕地でもある宝厳寺には、真民先生のお墓もございます。
平成二十四年に、愛媛県砥部町に坂村真民記念館が出来て、
私も初めて記念館を訪れました。その時に、宝厳寺にある真民先生のお墓にお参りしました。
そして、宝厳寺の御住職にもお目にかかり、一遍諸人像も拝ませていただきました。
しかしながら、明くる平成二十五年八月十日、宝厳寺は全焼してしまいました。
本堂の一遍上人像もすべて燃えてしまったのです。
寺の本堂も大事な重要文化財でもある一遍上人像が燃えてしまっては、
御住職の悲しみは、察するに余りあります。
その明くる年にお見舞いに参りました時には、御住職は入院されていまいた。
鎌倉に帰って、病院から御電話おいただいたのでした。
それからも毎年宝厳寺を訪ねてまいりました。
しかし、残念なことに御住職は、お亡くなりになってしまいました。
そんな中、御住職の奥様が、一生懸命にお寺を守ってこられました。
はじめは、プレハブの小屋のようなところでお経をあげたりなさっていました。
檀信徒の方々や地域の方々の熱意が結集して、
わずか三年足らずで、本堂も一遍上人像も復興されました。
一遍上人像は、本物かと見まがうばかりのものでした。
更に、亡き御住職のご息女が出家されて尼僧になり、
本山の遊行寺での修行も済ませ、宝厳寺の住職に就任されました。
そして、住職になって初めての団体参拝旅行を企画され
本山である藤沢の遊行寺と円覚寺とをお参りになったのです。
初めて宝厳寺を訪ねてから七年ほどのご縁ですが、
本堂も一遍上人像が燃えてしまい、御住職も亡くなり、
その間お寺を守ってこられた奥様も、円覚寺にお参りくださいました。
本堂ができたての頃おうかがいした時には、まだ新しい住まいになれないようなことを仰っていましたが、
もうすっかり落ち着かれたようで、
御住職となられた娘さんとご一緒に来られたお顔は、とても明るい表情でした。
その明るい表情を見ることができたのが、何よりの幸せでありました。
十月十五日は、昼過ぎまで舍利講式の儀式が続き、
その後続いて宝厳寺様ご一行がお参りくだり、
本山の人たちは大行事の後片付けで忙しいので、
私が山門から舎利殿までご案内させていただきました。
久しぶりの観光案内でしたが、喜んでいただけたようでした。
その後、大書院で茶礼をして、少し懇談することができました。
有り難い一日でありました。
横田南嶺