四つの病
毎月一度、東慶寺において円覚寺の開山仏光国師(無学祖元)の語録の勉強会を行っています。
ただいま、円覚寺に於ける説法について学んでいます。
その中に、『円覚経』の四病について説かれているのです。
四つの病とは、作(さ)・止(し)・任(にん)・滅(めつ)の四つです。
先ず第一の作病とは、俺がやらねばという病。
熱心に修行しようとする人が陥りやすい病です。
断食してだの、独り山にこもって坐るだの、
立派なことには違いないのですが、
俺がやっているんだ、俺はこんなに頑張ってやっているんだぞという思いが
自我を増長してしまいます。
それは同時に、やっていない人に対して攻撃的にもなりかねません。
よいように見えてやはり病なのです。
次には止病。思いを止めようとする病です。
無念無心が尊いのはいうまでもありませが、
あまり故意に思いを止めよう、一つのものに集中して、外のものには心を奪われぬようにしようとし過ぎると、
これもまた病となります。
三つには、任病。でまかせ、あるがままに任せる病です。
あるがままということも尊いことには違いないのですが、
迷いも悟りもないなどと野放図になってしまうと病となります。
四つには、滅病。完全に苦悩を断ち切るという病。
身も心も空であり、何の苦悩も無くなったという病です。
これも立派なことは立派ですが、すべてを断ち切ったという思いがとらわれになってしまいます。
どれも、病にもなれば、それが薬にもなり、
薬だと思っているのがまた病にもなると、仏光国師は示されています。
作病などは、まさしくその通りで、
願心を持って出家したような人がかかりやすい病です。
俺がやらねばという思いは、いいのですが、
人にも強要しようとしたりすると軋轢を生じます。
結果は人をも自分をも苦しめるだけになってしまうことがあります。
薬は病にもなり、病は薬にもなる。
「俺がやらねば」という気持ちもよい薬にしないとなりません。
病をよく知り、薬がどのように病や毒にもなってしまうのかということを、
謙虚によく学んでおくことが大事です。
『円覚経』は、円覚寺にも縁の深いお経ですが
この頃は、あまり学ばれません。
やはり、いいことが書いていますので、
学ぶことを怠ってはならないと改めて思います。
横田南嶺