夢窓国師の願い
夢窓国師の生きられた時代は、鎌倉幕府が滅ぼされ、
後醍醐天皇による建武の新政になり、
さらに後醍醐天皇から足利氏の幕府にと、
めまぐるしく変動したときでもありました。
幾たびも、戦乱に見舞われた時でありました。
それだけに、夢窓国師は、平和に対する願いが強いものでした。
足利尊氏が幕府を開き、後醍醐天皇が吉野で崩御なされた後に、
後醍醐天皇を弔う為に天龍寺を創建されました。
夢窓国師は、天龍寺を開山するにあたり、
毘盧遮那仏を本尊としました。
これは、円覚寺が毘盧遮那仏を本尊として、
怨親平等の精神で敵味方等しく供養されたのを受け継いでいると思われます。
後醍醐天皇の十三回忌の法語にも、
「真浄界中、他無く自無し。豈、怨親を其の間に容れんや。」の一語が見えます。
毘盧遮那仏を本尊として、その悟りの世界においては、自他の区別は無く、
まして況んや敵も味方も区別することはないということを明言されています。
更に「一迷纔かに生じて万境随って現じ、世界の治乱人倫の怨親、虛妄にして相酬い、虛妄にして相奪う。」
と述べられています。
一念、自他を隔て、敵味方を分かつ思いから、さまざまな争い事が起こるのです。
夢窓国師の師匠の更に師匠である無学祖元禅師(仏光国師)のお心を受け継いで、
天龍寺を開山し、更には全国に安国寺利生塔を建てて、
怨親平等の心で、敵味方区別なくすべての御霊を弔い、
真の平和の実現を願われていました。
(花園大学 禅とこころ講義より)
横田南嶺