藤田一照さん
七日の午後は、曹洞宗の藤田一照さんにお越しいただいて、
三時間にわたって坐禅のご指導をいただきました。
今夏の湯島の麟祥院でも、坐禅についての講義と実習を賜り、
僧堂の雲水達にもとても好評だったので、
特別にお願いしてお越しいただいて、ご指導をいただきました。
もっとも印象に残った言葉が、
「hard work から joyful play へ」でした。
我々の修行は、「厳しい修行に堪えることだ。」と長い間教わってきました。
厳しい修行に歯を食いしばって堪えてこそ、何かが得られるのだと教わりました。
しかしながら、元来仏陀の坐禅は、楽しくそして、遊ぶが如くという教えには、
目の開かされる思いでした。
私自身、この頃少しずつ坐ることの楽しみが分かりかけてきたところであります。
ひょっとしたら、この修行が楽しいものではないか、
坐禅はやはり安楽の法門ではないのかと、ようやく気付き始めてきました。
仏陀は、長い間、瞑想の修行をしたり、苦行をしたりというのは、
「hard work」であって、厳しいことに堪えて、何か特別の能力や成果を得ようというものでした。
しかし、それらをすべて放下して、樹下に坐ったのは、
「joyful play」だという一照さんのお話でした。
お釈迦様のもとに、あれだけ多くの人たちが集まったのは、
お釈迦様自身が、真に楽しんで幸せに満ちていたからだという説明をなされていました。
一照さんご自身、ティク・ナット・ハン師について修行されていて、
「Issho,smile! Practice should be enjoyable」(一照さん、ほほえみなさい。修行は元来楽しいものです。)と
言われて気がついたと話されていました。
私など、四十年以上坐禅してきて、ようやく気がついてきたところです。
しかし、今二年ないし三年くらいしか修行しない人たちでも、
単に「hard work」に堪えるだけではなく、少しでも坐禅の奥深さ、楽しさに気付いてもらい、
「joyful play」に触れて欲しいと願います。
楽しいことは、言われなくても進んでやってゆくものです。
僧堂を出てから、坐禅しないというのではなく、
坐禅が楽しくて仕方がないと、そのようになって欲しいと願って、
お忙しい藤田一照さんにお越しいただいたのです。
しかし、普段寝不足の「hard work」に堪えている雲水さん、
折角の講義にも居眠りしていたのでした。
ああ、道は遠し、思うようにはいかないのが、この世であります。
楽しくて充実した時間だったと心から喜んでいたのは、私自身でありました。
横田南嶺