となふれば仏もわれもなかりけり
五日の達磨忌の法要を終えて、神戸に向かいました。
神戸の南禅寺派宝満寺で、
六日に一遍上人の歌碑除幕式とその記念法話を行うためであります。
宝満寺は、法灯国師がご滞在の折に、一遍上人が訪れて参禅問答をされたお寺であります。
はじめに一遍上人が
「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして」
と詠ったのを法灯国師が、「未徹在」それではまだだめだと否定されて、更に工夫して
「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」
と詠ったところ、法灯国師も大いに認められたという逸話が残っています。
「声ばかりして」というのでは
まだ声を認識している自我が残っているというのでしょう。
一遍上人は、語録のなかで
「我体を捨て南無阿弥陀仏と独一なるを一心不乱といふなり。
されば念々の称名は念仏が念仏を申なり。」と仰せになっています。
我が身を捨てて南無阿弥陀仏ひとつになる、それが一心不乱だというので、
私が念仏を称えるのではなく、念仏が念仏を称えるのだと仰せになっているのです。
一遍上人をこよなく敬慕されたのが坂村真民先生でした。
私もそもそも真民先生の『一遍上人語録 捨て果てて』を通して一遍上人を学ぶようになりました。
私がはじめて参禅したのが、法灯国師開山の興国寺であり、
一遍上人が熊野権現の神託を受けて時宗を開かれたといいますが、熊野権現はわがふるさとであります。
そんなご縁からも親しみを覚えていたのですが、
その語録を読んでみると、禅宗に勝るとも劣らぬ徹底した境涯なのです。
真民先生は、酉年生まれて、
今度生まれてきたら鳥になると言い残されました。
なぜなら鳥には国境がないからだと言われました。
もともとひとつであった世界に、一本の線を引いてこちらとあちらと分けて考えて、そこから争いが起こります。
仏と我との間にも、一本の線を引いて、こちらが迷いの世界、
その線の向こうが仏の世界と分けてしまいます。
法然上人は、この迷える世界から仏の世界に到るようにひたすら念仏せよと教えられました。
親鸞聖人は、あちらの仏の世界からこちらの我々に働きかけてくださる、
そのことを信じて念仏すればよいと説かれました。
一遍上人は、仏と我と未だ分かれざる根源に立ち返って、
私たちと仏と不二一体の境地を説かれたのです。
真民先生の『一遍上人語録 捨て果てて』には
「阿弥陀仏とは大宇宙の生命そのものでなのである。
一遍上人が言われるのは、
その大宇宙のいのちのなかに、自分が入ってしまった。
一つになってしまった。……もう何一ついらぬ。ああいつ往生してもよい。」
と説かれています。
「我という小さき心捨ててみよ 三千世界に満つるいのちぞ」
と私は申し上げています。
「いかなるが苦しきものと人問わば、人をへだつる心と答えよ」
という歌がありますが、我という小さき心を捨て、
分けへだてる、差別する心を捨てて、
大宇宙のいのちと一つになる。
ここまでくれば、もはや禅も念仏も一つなのであります。
横田南嶺