弘願寺 新本堂落慶 記念法話
ご当山に参りましたのは、八年ぶりになります。
まだあの東日本大震災から二ヶ月しか経っていない時に、
被災見舞いに参りました。
当時はまだあちこちら道路も寸断されている頃でした。
こちらのお寺も、本堂の瓦などが境内に散乱していて、
裏の墓地などは多くの石塔が倒れているという状況で、
地震の大きさを改めて感じたことでした。
あれから八年、大変なご苦労を経て、
御住職はじめ檀信徒の皆さまのお力が結集して新本堂が出来上がりました。
喜びもひとしおかと察します。
「名月や畳の上に松の影」という句がございます。
名月の夜に、庭にある松の樹の影が、くっきりと畳の上に映っているという意味です。
松の影がよく見えるということは、きれいな名月に照らされている証でもあります。
坂村真民先生に、
影あり
仰げば
月あり
という短い詩がございます。
影があるということは、光に照らされていることの証でもあるのです。
震災や災害、さまざまな苦難がお互いに身の上にございます。
辛いな、大変だなと思うのでありますが、
影があるのは光に照らされていることだというように、
必ずそこに射す光もあるものであります。
どんな状況にあったとしても、
仏様は見守ってくださっていますし、
ご先祖様も見守ってくださっているはずのです。
中学生の方の投書に「失いたくないもの二つ」という文章がございました。
その方は友達から「失いたくないものは何か」と聞かれたそうです。
そこで真剣に考えてみて、頭に浮かんだもは、二つのことだといいます。
一つは、「人」。私を支えてぐれている全ての人。家族や友達など、
みんなかけがえのない存在だといいます。
次に二つ目は、感謝の気持ちや思いやりの心だというのです。
どんなに辛い大変だと思っても、人間は一人ではありません。
かならず手を差し伸べてくれる方がいます。
そしてそのことに気がついて感謝をする心が大切です。
感謝をする心はそのまま思いやりの心となります。
震災という苦難に遭いましたが、
仏様ご先祖様に見守られて、
多くの人のお力が結集して、
感謝の心でこの新本堂の落慶を迎えることができました。
このことをしっかりと受け止めてまわりの人たち、
ご縁のある人たちに思いやりの心で接してまいりたいと思います。
横田南嶺