本堂落慶
本日は、茨城県にある円覚寺派のお寺の新本堂の落慶法要に招かれています。
そのお寺には、東日本大震災のあった年に、
被災見舞いに訪れたこともあります。
茨城県は、東日本大震災では地震の被害がとても大きかったところです。
そこのお寺にお見舞いに参上した折にも、
本堂の瓦などもずいぶんと落ちていて、
裏の墓地にまわると、多くの石塔が倒れて散乱しているような有様でした。
あれから、八年の歳月が過ぎました。
住職が地震にも耐えられる丈夫な新本堂を建立しようと発願されて、
檀信徒の皆様もそれに協力されて、
実に立派な新本堂ができあがったのです。
ご住職はじめ檀信徒の皆様も感慨は無量であろうと察します。
震災の時に、お見舞いをして、墓地の惨状を見ていると、
倒れている石塔と、倒れていない石塔とがあることに気がつきました。
何が違うのかなと思っていると、
ご住職が私に教えてくださいました。
倒れていないお墓を作ったのは、
みな同じ石屋さんが作ったものだというのです。
その石屋というのは、実に長年にわたってそのお寺に出入りしている石屋だと
言われました。
新しく入ってきた石屋さんが作った石塔はほとんどみな倒れたというのです。
何が違うのでしょうかと、尋ねると、
ご住職は説明してくれました。
その墓地からは見えないのですが、
すぐ裏は沼地でありました。
ここはもと沼地で地盤が緩いのだ、
古くからの石屋さんは、その事情をよく知って、
しっかりと基礎を作ってくれたので、今回の震災でも倒れなかったのだと思うと言われました。
考えさせられる話であります。
職人の力量を思います。
古くからお寺との信頼関係を作り、
長年通い続けることで地盤の弱さを知ったからこそ、
いざという時に耐えられるものを作れたのです。
大丈夫だろうと思って作ったのは、倒れてしまうのです。
お互いの身体にしても同じでしょう。
身体を大切に思い、養生して生きる方が健康で長生きされたりします。
大丈夫だろうと養生を怠ると病に侵されたりします。
この世は、無常であり、もろいものだ、いつどうなるかわからないと思って、
常に謙虚で慎重に生きる事が大切なのだと、その話を聞いて思ったものであります。
坂村真民先生に
信仰によって
強くなるのではない
弱いままに助けられ
守られてゆく
その喜びのなかに生きる
という詩があります。
弱さを知っているものが、本当に強いのだと思います。
横田南嶺
(弘願寺 新本堂)