腕組み
先だっての宿泊坐禅会の最後の日に
少し怨親平等について講義をしました。
最前列に坐っていた方が、腕組みをして
聞いておられました。
こちらの修行が未熟なのだと思いますが、
こういうのは、結構気になるものです。
こちらの話がご不満なのかな、
なにかお気に入らないのかなと、
不安になったりしてしまいます。
この頃は、こういう状況にも多少慣れてきて、
たぶんご機嫌が悪いのだろうと
気にしないで話をすることが出来るようになってきました。
ちょうどその同じ坐禅会で
禅寺の坐禅会には、なぜたくさんの規則があるのですかと
ある方から質問を受けました。
たしかに、たくさんの規則があって、
禅と言えば自由な世界を想像するのに
どうしてだろうかと思うのでしょう。
たとえば、腕組みをして話を聞くと
話をする方がやりにくくなるので
話を聞くときは、腕組みをしないようにと
いうふうにして
規則ができたのだと思います。
相手を不愉快にしないように心づかいをするのが
規則の出来上がるおおもとだと思っています。
規則を守らなければならないと思うと窮屈かもしれませんが
相手に対する心づかいを学ぶのだと思えば、
よろしいのではないでしょうか。
私は、他人様の話しを聞くときには
必ず相手の方を見ながら、ところどころで頷きながら
メモを取りながら聞くようにしています。
もちろん椅子の背もたれにもたれかかったり
腕組みや足を組むようなことは当然しません。
そうして、相手を見ながら、うなずきながらメモを
取りながら聞いてくださると
話す方が話しやすくなるのです。
それが分かっているので、
相手のことを思うと、自然にそうなるのです。
これを規則にしてしまうと、何か縛られる気が
してしまうのでしょう。
心づかいを学ぶと思えばいいのではないでしょうか。
横田南嶺