icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.06.16 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2019.09.16
今日の言葉

何をしても仏心

十五日の日曜日、
久しぶりに大方丈で
『盤珪禅師語録』を提唱。

「平生、不生(ふしょう)の仏心 決定(けつじょう)しておる人は
寝れば仏心で寝
起きれば仏心で起き
行けば仏心で行き
坐すれば仏心で坐し
立てば仏心で立ち
…睡れば仏心で睡り
…一切時中、常住仏心で居て片時も
仏心にあらずという事なし」という
一節を講義していました。

盤珪禅の真骨頂ともいえる箇所であります。

平生何をしても、仏心のはたらきだというのであります。

その少し前の箇所には
「仏心は霊妙なる故に
一切の迷のことを習い覚え熟するなり」と
説かれていて

これは、迷うこともまた仏心のすばらしいはたらきの故だと
いうのであります。

唐代の禅僧 馬祖道一(ばそ どういつ)禅師が、
「平常心是れ道」(びょうじょうしん これどう)と
示されたのは、まさにこのことです。

平常心というと、どんな時にも取り乱さない心を
養うように思われるかもしれませんが
馬祖の説いたのはそうではありません。

ふだんのありのままの心の活動がすべて道だというのです。

なにも造作をしないのであります。

これはすばらしい悟りの世界でありますが、
欠点は、この教えを単に鵜呑みにしてしまって
怠惰になり、堕落してしまうことであります。

そこで、馬祖の禅は無事禅として批判され
盤珪の教えを信奉する人たちを白隠禅師は
きびしく批判されたのでした。

いずれにしても、本来もってうまれた
仏心に目覚めることこそが
肝要なのです。

横田南嶺

何をしても仏心

前の記事
次の記事

カテゴリー

  • 管長侍者日記(2578)
  • 回覧板 (おしらせ)(72)
  • ビデオ法話(216)
  • 居士林だより(2444)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ