坐禅の集い
本日は、東京は文京区白山にある
龍雲院にて坐禅の集い、
皆と共に坐禅して引き続き、碧巖録の提唱。
碧巖録という漢文の難解な語録を
月に一度、提唱してきて
今回で第九十七則になります。
年内には百則が終わることになります。
本山の日曜説教のような法話でなく
難解な語録の提唱に大勢の人が耳を
傾けて下さっています。
今回の九十七則は「金剛経」の話。
金剛経というお経の中に、
もし金剛経を信じ実践している人が
世間の人々によって軽蔑されたり、はずかしめられることが
あったとして、
それはその人の前世の罪業のためであり、
本来はその悪業によって、
地獄に堕ちるはずであったのが
人にはずかしめられることによって
過去世の罪業が消滅すると説かれているのであります。
なかなか今の時代には理解しがたい内容かもしれません。
過去世の罪業によると言われもピンとこないことでしょう。
白山道場龍雲院の先の住職であった
小池心叟老師は、
幼い頃に父の死に遭い、
母親に育てられるも、やがて寺の小僧に
出されてしまいます。
学校には行かせるという約束だったにもかかわらず
十分な学校教育も受けられず
筆舌に尽くし難い辛酸を喫されました。
長年、どうして自分はこんな不遇な目に遭うのかと
わが身の上を恨むような気持ちでいたらしいのですが、
禅の修行をするうちに
先の金剛経の一節を読んで、
このような目に遭うことによって
罪業が消滅してゆくのだと思うと
初めて救われる思いがしたと
語っておられました。
そのような受け止め方をして
心が救われてゆくこともあるのだと思います。
横田南嶺