たよらないのが仏さま?
臨済宗妙心寺派の
とある地方の研修大会に招かれて
講演したことがありました。
大会のテーマが「たよらないのが仏さま」とあって、
一瞬どういう意味なのかなと考えてしまいました。
私は、その日の演題を「観音さまのこころ」として
檀信徒の皆さまに、困った時苦しい時には
観音様をたよりにしましょうという話しを
しようと思っていたのでした。
たしかに、よく読んでみますと
「無依の道人」という臨済録の言葉がありますので、
臨済禅師の教えに基づいていることがわかります。
臨済禅師は、外に向かって求めることをやめよと
繰り返し説いています。
お釈迦様も「己こそ 己のよるべ」と仰せになっています。
大事な教えであることはもっともなのですが、
ただ、気を付けないといけないのは
これはややもすれば、独善的、
独りよがりになりかねない危険性もございます。
それに対して
内観という吉本伊信先生が弘められた教えがあります。
内観とは、 浄土真宗に伝わる身調べというものが
もとになっていて、
自分の母や父、兄弟や
自分の身近な人に対しての今までの関わりを、
一、してもらったこと、
二、して返したこと、
三、迷惑をかけたことの
三つについて繰り返し思い出す修行です。
それを一時間か二時間毎に、
面接者がやってきては、その内容の報告を受けます。
面接者は最低限の助言を与えることもあるけれど、専ら聞き役に徹するのです。
これを繰り返すと、自分がどれだけ多くのおかげをいただいて
来たか身に沁みて分かってきます。
私自身、高校生の頃、一度一週間行ったことがあります。
禅の修行は、ともすれば、厳しい修行をするが故に
自我が増大してしまう怖れがあったり、
あるいは、高い悟りを求めても得られないで
自信を失ってしまったりする怖れもあります。
そんな時には、いかに自分が多くのお世話をいただいてきたか
考えてみるのは、いいことだと思っています。
最近、日頃ご尊敬申し上げているとある老師が
修行僧に内観を勧められているという話しを
聞いて、なるほどと思ったのでした。
横田 南嶺