ノコギリ職人の話
毎日のように
いろんな方から、いろんな手紙、書類
書物などが届きます。
そんな中で、とある教師の方が
毎月勉強会を開いて、その講演録を
載せた会報を送ってくださっています。
それは、毎月勉強になる話しが載っていて、
いつも有り難く拝読しています。
今月は、ノコギリ職人の話が載っていました。
ノコギリの目立ての職人であります。
十三歳からノコギリ製造の鍛冶屋に丁稚奉公に入り
一生懸命勤めて、若くして認められてゆくのですが、
不注意から、全身に火花を浴びて
片目を失明してしまいました。
片目では遠近感が得られませんの
職人としては致命傷らしいのです。
しかし、その職人はあきらめずに人の
何倍も努力したのでした。
親方からも、自分には目は二つある、お前は一つしかない、
だから教えることはなにもない、人の何倍もやるだけやれ
としか言われなかったそうなのでした。
努力の結果、ようやく一人前になれたのですが、
目が不自由で、まともな仕事ができないと思われて
全くお客が来なかったのです。
たまさか、その地方で一番腕の立つ大工の親方が
急な仕事で、ノコギリの目立てを頼みたいと思ったけれども
どこの職人も手いっぱいで、すぐにできない。
そこで、その職人のところに注文がまわってきました。
「まともにできないらしいと噂をされているけれども
普通に切れるくらいにしてくれたらいい」と
注文されました。
これほどの屈辱はなかったと後に語っています。
しかし、大工の職人は、一度そのノコギリをひいてみて
目立ての名人であると分かったそうです。
そこで、その後は、すべてのノコギリの目立てを
頼まれるようになったという話しです。
ノコギリ職人の晩年のこと
御孫さんとお風呂に入ると
その職人の全身が古傷だらけだったそうです。
毎朝、まだ暗い中、林の中を
体中傷だらけになりながら、枝をよける訓練をして
遠近感を養う努力をしていたというのでした。
苦労に苦労を重ねて
ハンディを乗り越えて立派な職人に
なられたという話しでした。
涙無しでは読めない文章でした。
それを読んで私は
坂村真民先生の
「鈍刀を磨く」という詩を思い起こしました。
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を貸す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ
私は、日々そのような努力を
積み重ねているだろうかと
思うと、恥ずかしく思いました。
横田南嶺