山門施餓鬼法話
本日は円覚寺本山の
お檀家さん達のための施餓鬼会でした。
午前十時から法話をして
十一時から施餓鬼法要
十二時から食事で、私もみなさんと共に
食事をいただきました。
台風の影響で風が強くて
その分暑さがいくらか和らいだように
感じました。
法話では、坂村真民先生の詩から
お盆についての詩を四つほど選んで
お話ししました。
その中から「お盆が近づくと」を
紹介します。
お盆が近づくと
お盆が近づくと
わたしは心も体も落ちつかなくなり
仕事も手につかず
ただひたすら待つのである
年に一度遠い処からおいでくださるのに
不在と聞かれたらどんなにか
がっかりされるだろうし
そんな思いにかられて
どこへも行かず
ただひたすら待つのである
早く父を亡くしたので
お盆が近づくと
お迎えの準備は
小さい時から
長男のわたしがすべてしてきた
お経も早くから覚えた
喜んでもらいたかったからである
年をとった今も
この心に変わりない
ことしはいい香をたこう
いい花をたくさん供えよう
ああ
賑やかになるぞと言いながら
わたしはただひたすらに待つのである
今の時代では、お盆には
亡くなった人が帰ってくるのだと言っても
そんなことは信じられないと言われるかもしれません。
科学的に証明できることでもないので
無意味だと言われるかもしれません。
しかし、この待つことに意味があります。
待つことは、心を豊かにしてくれます。
私は、祈りとは待つことであると思っています。
無事であることを祈るというのは
無事で帰ってくることを待つことです。
信じて待つことは、心を豊かにし、生きる力を与えてくれます。
花が咲くように祈ることは、
花ひらくのを信じて待つことであります。
昨日花ひらいた蓮の花が
今日は更に一層花ひらきました。
横田南嶺