鹿の慈悲
今年の円覚寺の標語 布袋さん
お釈迦様は、王子として生まれ三十五歳で悟りを開かれました。
お釈迦様がお亡くなりになった後に、実はお釈迦様は三十五歳で悟る前にも、
長い間生まれ変わりを繰り返して修行していたのだと説かれるようになりました。
それがお釈迦様の前生の物語として伝わっています。
お釈迦様が前生において鹿であったお話です。
その国の王様は、肉を食べることが大好きで、毎日のように鹿狩りをしていました。
鹿狩りのたびに、多くの鹿が殺され、傷ついたのでした。
そこで鹿の王は考えて、王様に進言しました。
このような鹿狩りを続けられると、多くの鹿が無駄に死んでしまいます。
これからは一日一頭の鹿を差し出しますので、いたずらに鹿を傷つけることはおやめ下さいと頼みました。
それからは、毎日順番で一頭の鹿が、首切り台に上り、それを王様の料理人が持ってゆくのでした。
ある日の事、一頭の子供を宿した母鹿が順番に当たって、
首切り台に上ることになりました。
母鹿は、鹿の王に、今自分は子を宿しているので、どうか子を産んでからにして、
順番を飛ばしてくださいと頼みました。
鹿の王は、他の鹿に替わってもらうわけにはいかないと、
自らが首切り台に横たわりました。
それを見た料理人は、驚いてすぐさま王様にこのことを告げました。
王様は、鹿の王になぜおまえはここに横たわっているのか問いました。
鹿の王は、子を宿した母鹿のことを話しました。
そして自分が身代わりになっているのだと告げたのです。
そのことを聞いた王様は、そんな忍耐と慈悲の心を具えた者を
かつて人間の中にも見たことがないと言って、鹿の王と母鹿の命を救うことを約束しました。
更に鹿の王は、われらの命はたすかりましたが、他の鹿達はどうなりますかと問うと、
王様は、他の鹿達も安全を確保してあげると約束したのでした。
そこで多くの鹿が、その村で幸せに暮らすようになったという話であります。
その鹿の王こそが、前生のお釈迦様でありました。
こんな話が修行の本質とは何かを教えてくれます。
何かを学んだり、身につけることよりも、
わが身をなげうって、他の命を救うという慈悲の行を積み重ねることこそが、仏陀になる道なのです。
{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}