icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.07.15 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2019.06.25

地に倒れて、地より起つ

 地面でつまずいてころんだならば、またその地面で起ち上がることができます。

倒れたままでいれば、それきりですが、

人はまたそこから手をついて足を踏ん張り、起ち上がることができるのです。

 東嶺和尚は、「倒れてはまた起き上がり、また倒れては起き上がり、

進み進めばついに到るなり」と示されています。

ころんだところで起き上がるのです。

これを繰り返すうちに、何に気がつくかというと、

私たちは常に大地に支えられていることなのです。

どんなにつまずいてもころんでも、大地は常に私たちを支えていてくれるのです。

更に東嶺和尚は、そこから戒の問題に敷衍して、

「一戒を犯せば、直に佛前に懴悔して、又道に進むとは此の事なり。」と示されています。

 よくマインドフルネスの説明などを聞いていても、

雑念が起きたら、すぐにそのことに気がついて呼吸にもどればいいのだと言われています。

雑念が起きることが問題ではなく、

気がつかずに流されてしまうことが問題だというのです。

 同じことは、戒においても言えます。

戒というと、戒めを守らなければいけないと思って、

窮屈に感じてしまいますが、そうではありません。

そもそも、私たちは常に戒に背いてしまいがちなのです。

 そこで、戒に背いたと気がついて、また意識して戒にもどることが大切なのです。

この気がついてはまたもどることを習慣にしてしまうのです。

戒を完全に守ることを習慣にしようとすると大変です。

絶対にころばないでゆこうと思うのと同じで、かえってびくびくして萎縮してしまいます。

ころんでもまた起き上がることを習慣にするのです。

 すると、大地に支えられていることに気がつくように、

戒によって守られていることに気がつきます。

戒を意識して、戒に立ち戻ることを繰り返すと、常に戒に守られていることがわかります。

 それはとりもなおさず、ほとけさまに守られていることと同じなのです。

みほとけに守られている安心感を持つことができる、

これが戒を意識して暮らす一番大きな意味なのです。

{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}

地に倒れて、地より起つ

前の記事
次の記事

カテゴリー

  • 管長侍者日記(2608)
  • 回覧板 (おしらせ)(72)
  • ビデオ法話(216)
  • 居士林だより(2444)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ