地に倒れて、地より起つ
地面でつまずいてころんだならば、またその地面で起ち上がることができます。
倒れたままでいれば、それきりですが、
人はまたそこから手をついて足を踏ん張り、起ち上がることができるのです。
東嶺和尚は、「倒れてはまた起き上がり、また倒れては起き上がり、
進み進めばついに到るなり」と示されています。
ころんだところで起き上がるのです。
これを繰り返すうちに、何に気がつくかというと、
私たちは常に大地に支えられていることなのです。
どんなにつまずいてもころんでも、大地は常に私たちを支えていてくれるのです。
更に東嶺和尚は、そこから戒の問題に敷衍して、
「一戒を犯せば、直に佛前に懴悔して、又道に進むとは此の事なり。」と示されています。
よくマインドフルネスの説明などを聞いていても、
雑念が起きたら、すぐにそのことに気がついて呼吸にもどればいいのだと言われています。
雑念が起きることが問題ではなく、
気がつかずに流されてしまうことが問題だというのです。
同じことは、戒においても言えます。
戒というと、戒めを守らなければいけないと思って、
窮屈に感じてしまいますが、そうではありません。
そもそも、私たちは常に戒に背いてしまいがちなのです。
そこで、戒に背いたと気がついて、また意識して戒にもどることが大切なのです。
この気がついてはまたもどることを習慣にしてしまうのです。
戒を完全に守ることを習慣にしようとすると大変です。
絶対にころばないでゆこうと思うのと同じで、かえってびくびくして萎縮してしまいます。
ころんでもまた起き上がることを習慣にするのです。
すると、大地に支えられていることに気がつくように、
戒によって守られていることに気がつきます。
戒を意識して、戒に立ち戻ることを繰り返すと、常に戒に守られていることがわかります。
それはとりもなおさず、ほとけさまに守られていることと同じなのです。
みほとけに守られている安心感を持つことができる、
これが戒を意識して暮らす一番大きな意味なのです。
{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}