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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.11.06
今日の出来事

盤珪禅師の言葉に学ぶ

連休明けの五日は、早朝に寺を出て上洛、花園大学にて講義。

今年は、禅僧の言葉に学ぶというテーマで、毎月一人の禅僧を取り上げてお話しています。

今月は、盤珪禅師の言葉を学びました。

鎌倉時代に、中国から禅が伝わって、はじめの頃は、漢文で問答して修行されていました。

仮名法語などもありましたが、やはり漢文の語録が中心でした。

それが、江戸時代の盤珪禅師になって、当時の方言も交えた言葉で、わかりやすく庶民に語りかけるというようになり、

禅が日本の国の教えとして根付いたと言うことができます。

「人々皆親のうみ附てたもつたは、仏心ひとつで、よのものはひとつもうみ附はしませぬわひの。」

生まれつき短気で困るという者に対して語った言葉です。

短気などというのは、生まれつきではない。

自分を可愛く思いすぎるので、自分にとって不愉快なもの、不都合なことに腹を立てるだけで、

短気を親から産み付けられたと思うなどは、親不孝だと説かれました。

そして、人は誰しも親から産み付けてもらったのは、仏心だけであり、

その以外のものは産み付けられてはいないのだと、「ござるわいの」という独自の語り口で説かれたのです。

たとえ、どんな悪人であっても、仏心のあることに変わりはなく、思い改めさえすれば、そのまま仏心だと説かれました。

また、居眠りしていた修行僧を、叩いた僧がいると、叩いた方の僧を叱ったのでした。

眠ったからといって、仏心がほかのものに変わってしまうことはないというのです。

眠るのも仏心、仏心で寝ていると説かれました。

盤珪禅師の語録を読んでいると、どこまでも不生の仏心ひとつで、痛快であり、心が明るくなります。

ちょうど天候もよろしく、雲一つない秋空で、盤珪禅師の言葉を学んで、晴れ晴れとして気持ちになりました。

横田南嶺

盤珪禅師の言葉に学ぶ

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