盤珪禅師の言葉に学ぶ
連休明けの五日は、早朝に寺を出て上洛、花園大学にて講義。
今年は、禅僧の言葉に学ぶというテーマで、毎月一人の禅僧を取り上げてお話しています。
今月は、盤珪禅師の言葉を学びました。
鎌倉時代に、中国から禅が伝わって、はじめの頃は、漢文で問答して修行されていました。
仮名法語などもありましたが、やはり漢文の語録が中心でした。
それが、江戸時代の盤珪禅師になって、当時の方言も交えた言葉で、わかりやすく庶民に語りかけるというようになり、
禅が日本の国の教えとして根付いたと言うことができます。
「人々皆親のうみ附てたもつたは、仏心ひとつで、よのものはひとつもうみ附はしませぬわひの。」
生まれつき短気で困るという者に対して語った言葉です。
短気などというのは、生まれつきではない。
自分を可愛く思いすぎるので、自分にとって不愉快なもの、不都合なことに腹を立てるだけで、
短気を親から産み付けられたと思うなどは、親不孝だと説かれました。
そして、人は誰しも親から産み付けてもらったのは、仏心だけであり、
その以外のものは産み付けられてはいないのだと、「ござるわいの」という独自の語り口で説かれたのです。
たとえ、どんな悪人であっても、仏心のあることに変わりはなく、思い改めさえすれば、そのまま仏心だと説かれました。
また、居眠りしていた修行僧を、叩いた僧がいると、叩いた方の僧を叱ったのでした。
眠ったからといって、仏心がほかのものに変わってしまうことはないというのです。
眠るのも仏心、仏心で寝ていると説かれました。
盤珪禅師の語録を読んでいると、どこまでも不生の仏心ひとつで、痛快であり、心が明るくなります。
ちょうど天候もよろしく、雲一つない秋空で、盤珪禅師の言葉を学んで、晴れ晴れとして気持ちになりました。
横田南嶺