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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.10.31
僧堂提唱

途中と家舎

『臨済録』に「一人有り、劫を論じて途中に在って家舎を離れず。

一人有り、家舎を離れて途中に在らず。」
という一節があります。

 

岩波文庫の『臨済録』の訳には、

 

「一人は永劫に道中を歩みつつ、しかも本来の場所に身を置いている。

 

一人は永劫に本来の場所を離れて、しかも道中を歩んでもいない。」とあります。

 

どこかに到達しようという目標点を定めると、そこへ到る道からそれてしまうということが起こります。

 

すなわち、迷うことが生じます。

 

どこへゆこうとも、そこに落ち着いていようと思っていれば、迷うことはありません。

 

「行き先に我が家ありけりかたつむり」という句の通りです。

 

どこでも、到るところ、そこが我が家なのです。

 

どこかに本当の自分があると思って、外に求めようとするので、

 

自分さがしということになってしまいます。それは迷いです。

 

どこでも、何をしていても、それが本当の自分だと思っていれば、探すことも迷うこともありません。

 

しかしながら、目標だの途中だの、本来の自分だの現実の自分だのと、二つにわけて考えること自体が迷いなのです。

 

ただ、今のこと、与えられていることを、生き生きと精一杯はたらく、

 

いのちの姿があるのみです。

 

(雪安居入制大摂心提唱より)

 
 横田南嶺

〈伝宗庵から見た富士山〉

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