今日の出来事
慈悲とは
月曜日は、午後から湯島の麟祥院で小川隆先生による『臨済録』の講義を拝聴。
そのあと、都内で五木寛之先生と対談をしていました。
五木先生は、御年八十七歳ですが、お元気でいらっしゃいます。
ブッダについて二時間ほど語り合いました。
印象に残っているのが、慈悲についての解釈でした。
慈悲の慈とは、「がんばれ」で、悲とは「がんばらなくていい」と仰せになりました。
どういうことですかとうかがうと、
慈は、何かをしてあげること、建設的で前向きなことで、
ヒューマニズムとかフレンドシップだと言われました。
それに対して、悲は励ましも激励もできない、どうにもならないような状況で、
自分には何もしてやれないという無力感に打ちひしがれながら、
それでもその苦しんでいる人のそばにたたずんでいること、
苦しみを共にするとだと語られました。
がんばることもできないのだというのです。だからがんばらなくていいのです。
何かするのではなく、何もできない無力感に打ちひしがれて、
それでいて共に悲しむのだという解釈には、深く感銘を受けました。
私などは、ついつい、経典の言葉を引用して説明してしまいますが、ご
自身の体験をもとにされた、実感のこもった言葉だと感じました。
五木先生は、終始お優しいまなざしで、三十歳以上も年下の私が語る言葉に、
時にはうなずきながら、時には目を潤わせながら聴いてくださりました。
その深いまなざしが、心に残りました。