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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.10.30
今日の出来事

慈悲とは

月曜日は、午後から湯島の麟祥院で小川隆先生による『臨済録』の講義を拝聴。

 

そのあと、都内で五木寛之先生と対談をしていました。

 

五木先生は、御年八十七歳ですが、お元気でいらっしゃいます。

 

ブッダについて二時間ほど語り合いました。

 

印象に残っているのが、慈悲についての解釈でした。

 

慈悲の慈とは、「がんばれ」で、悲とは「がんばらなくていい」と仰せになりました。

 

どういうことですかとうかがうと、

 

慈は、何かをしてあげること、建設的で前向きなことで、

 

ヒューマニズムとかフレンドシップだと言われました。

 

それに対して、悲は励ましも激励もできない、どうにもならないような状況で、

 

自分には何もしてやれないという無力感に打ちひしがれながら、

 

それでもその苦しんでいる人のそばにたたずんでいること、

 

苦しみを共にするとだと語られました。

 

がんばることもできないのだというのです。だからがんばらなくていいのです。

 

何かするのではなく、何もできない無力感に打ちひしがれて、

 

それでいて共に悲しむのだという解釈には、深く感銘を受けました。

 

私などは、ついつい、経典の言葉を引用して説明してしまいますが、ご

 

自身の体験をもとにされた、実感のこもった言葉だと感じました。

 

五木先生は、終始お優しいまなざしで、三十歳以上も年下の私が語る言葉に、

 

時にはうなずきながら、時には目を潤わせながら聴いてくださりました。

 

その深いまなざしが、心に残りました。

 

昨年から三回にわたって対談させていただきました。やがて、単行本になる予定です。

 
横田南嶺

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