禅は分からない
次の日は、円覚寺で禅とジブリにちなんだ企画が行われました。
禅とジブリ京都展開催記念「この時代をどうやり過ごすか」というものです。
スタジオジブリの鈴木敏夫さんと、今回禅とジブリ展に合わせて、円覚寺の修行道場での暮らしを撮影してくださった、カンヤダさんと私の三人の鼎談であります。
はじめに、十月三日に京都の京セラ美術館で「禅とジブリ展」が開幕されて、すぐに鈴木さんが、その一部の展示を変えられるということについてお話されました。
これは多くのジブリのファンの方にとっては、鈴木さんの思いを聞くことができて貴重なことだったと思います。
私が「禅とジブリ展」を訪ねた感想を求められて、まず入り口にあった磯田さんの言葉に心ひかれたと申し上げました。
鼎談の司会は淡交社の磯田さんが務めてくださっていました。
とても良い言葉で、磯田さんの率直な思いが綴られています。
はじめは茶道の雑誌に始まった対談の連載が、一冊の本になり、さらに今回のように大きな展示会にまで発展したのでした。
そもそものきっかけは、磯田さんが淡交社で茶道の雑誌に関わりながら、禅が分からないと思われたことにあったのでした。
そしてジブリの鈴木さんと禅僧の対談が始まったのです。
そのことに触れて私は司会の磯田さんに質問しました。
これだけいろいろやってきて、禅は分かりましたかと尋ねてみました。
やはり分からないというお答えでありました。
これはよいことだと受けとめています。
この企画で禅はこういうものだとよく分かったという方がどうかと思うのです。
鼎談の中では、この「分からない」ということについて掘り下げてみました。
私も長年禅の修行をしてきましたが、いまだに分からないというのが率直な思いですとお伝えしました。
「五里霧中」という言葉があります。
深い霧の中で、何も見えず、どこへ向かえばよいのか分からない状態です。
十歳の頃から坐禅を始めて、出家して修行道場に入って、ただひたすら五里霧中の道を歩んできたと思います。
その霧の中を求めて歩んでいけば、いつか霧が晴れて、その向こうに明るい世界が開けるだろうと思っていました。
ところが、ある時気がついたのです。
この霧こそが本物だったのだと。
霧の向こうに何か素晴らしいものがあるのではなく、霧そのものが素晴らしいのだと気がついたのです。
「分からない」ということの中にこそ、本質があるのではないかと思うようになりました。
たとえば、山をみて、あれは何かと問われたら、「あの山は大山です」と答えます。
それを聞いて分かったとはいえません。
さらに「標高は千二百メートルほどで、阿夫利神社があり、頂上までは登山道もあります」と説明されると、なんとなしにその山について分かったような気になります。
しかし、それで分かったとはとても言えません。
よしんば、何十回、何百回と登った人でも、その山のすべてを知っているとはいえないと思います。
私たちは、何かに名前をつけ、自分で納得できる説明を聞いただけで、分かったつもりになっているのではないかと思うのです。
たしかに分かることは素晴らしいことです。
分かればうれしいものです。
ただ、それは自分で納得できる説明をつけただけではないかという気がします。
そうすると「分からない」ということに、それ以上の素晴らしさがあると感じるのです。
分からないことが次第に分かってくるのではなく、分からなさそのものが深まっていくという感じです。
その霧の深さこそが素晴らしいのだと気づいた時、私たちの見る世界は、がらりと変わってくるのではないかと申し上げました。
鈴木さんは卒業論文で、「分からないことを、分からないまま抱えて生きていく」ということを書いたのだと仰っていました。
鈴木さんは、宮崎駿監督とは五十年ものお付き合いになるそうですが、いまだに分からないというのです。
しかし、その分からなさこそが、ご自身の人生の一部になっているというお話でした。
司会の磯田さんから、鈴木さんがよく用いられる「人生は単なる空騒ぎ」という言葉について、これはマイナスなように聞こえると言われました。
どこか暗い、空しい感じがするというのです。
それに対しては、鈴木さんも私も決してマイナスな、否定的な意味ではなく、むしろ人生を積極的に楽しむ言葉だと言いました。
「孤独」ということについても聞かれましたので、私も、人間は一人で生まれ、一人で死んでいくものだと思っていますと申し上げました。
しかし、だからといって孤独に閉じこもるわけではありません。
周囲の人たちと関わり、ともに笑い、時には騒ぎを起こしながら生きていく。
一人であるという自覚と、人々とともに空騒ぎを楽しむことは、決して矛盾しないのであります。
今回の展覧会のテーマにもなっている「この時代をどうやり過ごすか」という言葉についても話が及びました。
鈴木さんは、今は生きていくことがなかなか大変な時代だとおっしゃいます。
社会の変化だけでなく、自分自身の人生を振り返っても、本当にこれでよかったのか、別の道があったのではないかと思うことがあるそうです。
それでも、人生は一度きりです。
私にもこの時代をやり過ごすにはどうすればいいかと聞かれて、即座に「皆さん、好きにやってください。一度きりの人生ですから、好きなことをして、空騒ぎをして、それで終われば本望だ」とお伝えしました。
最後に、AIが発達する時代に、人間が手で描くことの意味についても話し合いました。
画家は、一本の線に命をかけて描いてこられました。
AIによって同じような絵が描けるようになっても、人間が心を込めて描くことの価値は失われないのではないかと私が申し上げると、鈴木さんが良い話をしてくださいました。
最近『我々は宇宙人』というアニメの映画が公開されていますが、この映画を作ったのはまだ三十歳の方らしいのです。
それがすべて手描きで作られたということです。
鈴木さんは、そのことを紹介されて、人の手で心を込めて作ったものは決して消えることがないと語られました。
分からないことを抱えながら、周囲の人と空騒ぎを楽しみ、今この瞬間を精いっぱい生きる。そして、自分の手で心を込めて何かを生み出していくのです。
人の手で心を込めたものは消えることがない、これが禅とジブリの共通するところだと申し上げて話を終えたのでした。
横田南嶺