学びの日
開山である隠元禅師のことにもますます興味が湧いてきました。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「隠元隆琦」禅師として記載されています。
西暦一五九二年に生まれ、一六七三年にお亡くなりになっています。
中国明代の禅僧。福州(福建省)の人。
二九歳のとき、黄檗山の鑑源興寿を師として得度剃髪し、その後、諸方を遍参して学行を積んだ。
一六三三年、費隠通容が黄檗山に住したとき、請われて西堂職につき、三七年費隠に嗣法して黄檗山主となった」と書かれています。
一六五四年、長崎の興福寺の僧逸然性融らに請われて渡日を決意し、弟子三〇人を連れて来航し、興福寺に入ったのです。
ときに六三歳。」とあります。
隠元禅師が日本に渡って来られたときの年齢と、私がこのたび萬福寺を訪ねた年齢とが同じなのであります。
そのあと次のようなことが書かれています。
「彼を京都妙心寺の住持に迎える動きがあったが、日本には鎌倉以来の禅の伝統があり、明朝の念仏禅に対する愚堂東寔らの反対で実現しなかった」というのです。
そこで「一六六一年(寛文一)、宇治に黄檗山万福寺を創建して、日本黄檗宗の開祖となった」のであります。
さらに「ちなみに〈隠元豆〉は、隠元が明から移植して日本に広まったものともいい、他にも多くの文化的影響を残した」と記載されています。
出家の因縁については、消息の分からなくなっていた父を探して旅をしましたが、出会うことはできず、観音さまにすがるよりほかないと思い、普陀山に赴き、潮音洞に入って茶頭を勤めたというのです。
それが出家の契機となったのでした。
二九歳のとき、母を亡くして黄檗山に入って出家するのです。
日本にもたらしたものは、インゲン豆のみではありません。
孟宗竹を日本にもたらしたのだと萬福寺でおうかがいしました。
また急須でお茶を淹れるのも隠元禅師がもたらしたものだというのです。
それから普茶料理もよく知られています。
これは中国風の精進料理です。
日本の懐石料理などのように、一人一人に料理を盛り付けるのではなく、大皿に盛られた料理を皆で分け合う食事の形式です。
一つの卓を囲み、皆で料理を取り分けます。
それから、今ではお寺で当たり前のように使われている木魚の普及にも、隠元禅師や黄檗宗が深く関わっているようです。
明朝体の普及にも、隠元禅師が深く関わっていたというのです。
そもそも明朝体というのは、中国の明の時代に発達した印刷用の書体であります。
隠元禅師は中国から日本に渡って来られるときに、明の時代に印刷された大蔵経を持参されたのでした。
隠元禅師について調べるといろんなことが分かってきます。
萬福寺を訪ねた翌朝は、西本願寺の朝の勤行に参列していました。
萬福寺はまさに中国風の伽藍でありますが、本願寺になると日本の伝統的な寺院建築であります。
広い畳敷きのお堂に、大勢の方がお参りしています。
皆さんと共に、阿弥陀堂と御影堂(ごえいどう)でお勤めに参加して、最後にご法話を拝聴してきました。
法話では、阿弥陀如来の浄土は、無量光明土、無量の光に満ちた世界だとお話くださっていました。
その光は十二の光として説かれるそうです。
十二の光のなかでも無辺光について説いてくださいました。
「辺」というのは、内と外を分ける境界のことです。
例として二等辺三角形の辺は図形の内側と外側を区別していると説明してくださいました。
この「辺」という考え方は、私たちの生活や社会にも存在します。
日本人と外国人という区別や、国境などによって、内と外を分ける隔たりを作ります。
無辺光の世界は、そのような境界や隔たりが本来なく、一人一人が皆等しく大切で尊い存在であることを明らかにしているのだと説いてくださっていました。
人為的な「辺」が、戦争、排除、差別などの原因となっています。
そこで阿弥陀さまの光明は、一人一人差別せず、皆が仏の子であるという真実を明らかにしてくれているというお話でした。
西本願寺でお念仏を申し上げて法話を拝聴して、その日は大学の摂心でありました。
午前中は私が講義と実習を担当しました。
禅の基本的な考えと、背骨をまっすぐ伸ばす、呼吸をゆっくり行うという実習を皆で行いました。
午後からは神戸の祥福寺僧堂の岩村宗昂老師の提唱を拝聴して坐禅をしました。
提唱は十牛図でありました。
伝統的な提唱台にお坐りになって、見台を前に淡々と十牛図の世界を説いてくださっていました。
「十牛図」の第二「見跡」を提唱なされました。
牛を仏法に見立てての提唱であります。
「尋牛」は牛、即ち仏法を求める旅に出たところであります。
さらに「見跡」では、牛の足跡を見つけます。
それは経典や語録などの文字を見出して、道を確かめることです。
経典や祖師の語録を読み込んで学ぶことは大事ですが、文字は「月を指す指」であり、自らの内に問いを深く投げ込み、力尽きるほど追究する中で、真の目覚めがあるのだと説いてくださっていました。
そうして夕方まで大学の禅堂で坐禅をさせてもらいました。
折から吹いてくる風が心地よく、午後の日射しも穏やかで、まさに無辺光の中にいる心地でありました。
西本願寺でお念仏の教えを学び、大学で岩村老師の十牛図の提唱を拝聴して、一日坐禅するという学びの一日を送らせてもらったのでした。
横田南嶺