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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.10.17
今日の言葉

この時代をどうやり過ごすか

京セラ美術館で開催されている「禅とジブリ 京都展」に合わせて、先日、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんと、タイの写真家カンヤダ・プラテンさんをお招きして、私を交えた三人で鼎談を行いました。

禅とジブリ京都展開催記念「この時代をどうやり過ごすか」という企画でした。

はじめに京セラ美術館で開催されている展示を見ての感想を聞かれましたので、答えました。

実際に拝見して「ああ、禅というのは、やっぱりこういうものだな」と改めて感じたのであります。

会場に入ると、まずはジブリの世界が広がっています。

『君たちはどう生きるか』に登場するアオサギが出迎えてくれます。

それから、たくさんのジブリのキャラクターが並んでいます。

まさしくジブリの世界であります。

そこには禅の雰囲気など、どこにもありません。

多くの方々がジブリの世界を楽しみ、皆さん幸せそうに喜んでいらっしゃるのです。

私はいつも思っているのですが、禅というのは、あまり世の中の中心になるような存在ではないと思っています。

仏教の中でも、禅というのは、片隅にいる存在なのであります。

たとえて言えば、お弁当の中のたくあん漬けのようなものでしょうか。

お弁当の真ん中にあるのではなく、片隅にさりげなく添えられている、そのくらいがちょうどいいと思っているのです。

今回の展示も、まずはジブリの世界が広がっていて、皆さんが楽しんでいらっしゃる、その中を進んでいくと、ところどころに、ちょっと禅らしいものが現れてきます。

そして終わりの方になると、禅の修行道場の写真や、禅に関わる展示などが置かれているのです。

禅というのは、片隅にそっと佇んでいるのです。

多くの人は、その前を通り過ぎていくかもしれませんが、その足元に、禅は静かに存在しているのです。

そんなことをお伝えしたのでした。

今回もこのような企画を行うと、いつもとは違った方々が集まってくださいます。

ジブリのファンの方々だろうと察します。

そんな方々に、さりげなく禅の世界に触れてもらえればじゅうぶんなのです。

鼎談は、カンヤダさんを交えてのものなので、カンヤダさんの写真にも話が及びました。

この展示に合わせて昨年の十二月にカンヤダさんに、円覚寺の修行道場の暮らしを二日間にわたって撮影してもらったのでした。

その撮影のときの感想を求められたカンヤダさんは、朝が早く、寒かったとお答えになっていました。

そうだったろうと察します。

十二月ですからもう寒い時期でした。

二日間にわたって朝の四時の勤行から朝の坐禅、禅問答、朝のお粥をいただくところ、掃除、托鉢、薪割り、畑の作業などを撮影してもらったのでした。

私もその時の感想を求められましたので、カンヤダさんに写真を撮ってもらった際に、写真を撮っているという気配をまったく感じさせないことに驚いたと伝えました。

撮られているという思いが起こらずに、気がついたら撮られていたという感じなのでした。

私も人の気配などには敏感な方だと自分では思っています。

ところがカンヤダさんは、どこからともなく現れて、写真を撮られるのかと意識する間もなく、撮られていたという感じでありました。

坐禅堂の写真や禅問答の写真なども十二月の午前五時頃ですから、現場は真っ暗なのですが、蝋燭の明かりだけでずいぶん明るく写っているのでした。

これはどうしてこのように明るく写っているのですかと尋ねると、それはカメラのおかげだと仰っていました。

このたび、カンヤダさんが『パクトンチャイとカンヤダと』という写真集を出版されました。

そのことに因んで、カンヤダさんの故郷タイのパクトンチャイの話にもなりました。

鈴木さんがパクトンチャイを訪ねたときの話をしてくださいました。

この話は、『パクトンチャイとカンヤダと』という本の終わりに書かれているのですが、鈴木さんの口からお話くださると一層味わいがあります。

パクトンチャイは、タイ東北部のナコーンラーチャシーマー県にある町だそうです。

バンコクから車で数時間もかかるというのです。

高層ビルもなければ観光客もいない、静かな田舎町だそうです。

鈴木さんはその町のことが好きだそうで、何度も訪ねていらっしゃいます。

ある朝散歩に出かけた話でした。

この散歩ということがカンヤダさんには理解できなかったと仰っていました。

毎日よく歩いてはたらいている人たちには散歩など必要ないのかもしれません。

鈴木さんは、カンヤダさんと仲間たちとで町を散歩されました。

すると道の真ん中に犬が寝ていました。

気持ちよさそうに寝ていたというのです。

まるで道路は犬のものでもあると言わんばかりだというのです。

その次には大きな牛が道に寝そべっていたそうです。

道路の真ん中で寝ていて車が来ても慌てないのです。

またこの町では、みんな自分たちで家を建てて暮らしているというのです。

家の周りにもニワトリや犬や猫がいるのです。

鈴木さんは『パクトンチャイとカンヤダと』の中で、

「犬がいて、ニワトリがいて、牛がいる。そして人間がいる。そのどれかが特別というわけではない。みんな、この村の住人だ。」と書かれています。

さらに歩いていると、道端にお爺さんが寝ていたのでした。

鈴木さんたちが通り過ぎようとすると、お爺さんはゆっくり顔を上げて言われたのでした。

「何か困ったことはないか」というのです。

本にも鈴木さんは「こちらが心配していたのに、逆に心配されてしまった。
あの一言が忘れられない。道端で寝ていたお爺さんは、お金持ちでもなければ、立派な肩書きを持っているわけでもない。けれど、見知らぬ旅人を気遣う余裕があった。」と書かれています。

鈴木さんはさらに「犬は犬らしく、牛は牛らしく、人は人らしく生きている。その光景を見ているうちに、ぼくは当たり前のことを思い出した。人間もまた、動物なのだということを。
文明をつくり、都市を築き、便利な暮らしを手に入れても、そのことは変わらない。むしろ、その事実を忘れたとき、人間は少し窮屈になるのかもしれない。パクトンチャイの朝の光の中で、ぼくはそんなことを考えた。」

と書かれています。

私の暮らしている修行道場でも鷄を飼っています。

リスや狸やいろんな動物もいます。

人間もまた同じ動物、そんな原点に返ることを、禅の世界でも大事にしています。

この便利な暮らしの中でも、この老人のように「何か困ったことはないか」と相手を思いやる心を大事にしてゆきたいものです。

それこそが、この時代をどうやり過ごすかという問いへの手がかりになるかと思います。

 
横田南嶺

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