神宮寺坐禅会 – 一息一息我が家に帰る –
このところ毎年のようにおうかがいしています。
昨年は、藤田一照さんと二人で坐禅会を行いました。
一照さんが本格的な座布団の上に足を組んで坐る坐禅で、私はイス坐禅を行ったのでした。
そして二人の対談と会場の皆様からの質疑応答でありました。
昨年は午後から夕方まで行ったのですが、時間が足りないくらいだったので、今回は、午前十時から午後四時半までと長時間の坐禅会となりました。
お昼はお弁当を用意してもらって召し上がってもらうようにしたのでした。
お弁当だけではなく、それにお寺で作ったおかずと、さらにけんちん汁も用意されていました。
お寺の方もたいへんだったと察します。
それだけに多くの皆様にもご満足いただけたように感じました。
神宮寺の谷川和尚のおかげであります。
坐禅会は午前十時からの二時間、一照さんの坐禅の時間となりました。
昨年も井上欣也さんに一緒に行っていただきまして、今年も井上さんがご一緒してくれました。
そこで今回ははじめに井上欣也さんのワークから始まりました。
井上さんは、足の裏で床を感じて立つということを実践してくれました。
自分の身体感覚に耳を傾けて、足裏全体に注意を集めることで前後左右、つま先、かかとの偏りに気づくように注意してみます。
そしてあたかも薄い氷を柔らかく踏むように足裏全体で床を包み込むようにします。
すると余計な緊張が抜け、外から押されたりしても安定します。
その折にも押された際の力の通り道を観察するようにして、部分的な力みではなく全身へ力が抜けていく感覚を育てるようにと指導してくださいました。
そんな立つという稽古を行っていると、多くの方は、立つということが坐禅とどんな関係があるのかと不思議に思うかもしれません。
そこで一照さんは、坐禅というのは「坐骨で立つ」であり、立つということは「足裏で坐る」ということなのだと仰いました。
坐ることと立つことは、同一原理を異なる姿勢で探求するのだというのです。
そんなワークで場も和らいでいったのを感じました。
一照さんは綿密な資料を用意されていました。
今回は、坐禅の調身、調息、調心の三つを調えるという中でも、調息について学びました。
一照さんは、調息について道元禅師は「⿐息微かに通ず」と『普勧坐禅儀』で説かれていることについて触れられていました。
⿐から空気が出⼊りする呼吸という運動が微細な感覚として感じられ、どこにも滞りなく体全体に流通していることだと説明してくれていました。
静かで滑らかな呼吸です。
しかし、決して⾃分の息を直接に⿐息微通にしようと意識するのではありません。
結果的にそうなのだというのです。
そうなるための諸条件を調えていくのです。
そうして⾃ずと⿐息微かに通ずという本来の呼吸へと変化するのを⾒守るのだというのです。
実際の坐禅においては、⾃然な息の流れにまかせるのみで、いかなる「呼吸法」もやらないのだと説かれていました。
「調息」しない「調息」だと仰いました。
「私が呼吸をしている」のではなく、「呼吸が私に起きている」という呼吸がいいのだというのです。
「私が」という主格から「私に」という与格に変わるのです。
しかし、そのための「補習」として呼吸体験を深めることは稽古として必要だとも説いてくださって、様々なワークも実習しました。
⼿⾸そらしや⾸回しから始めました。
そして体幹の前側、背中側、体側をのばすこと、⾻盤回しなどを行ってゆきました。
それから、今回教わって私が感動したのは、「⾃分の肺の実際の位置と⼤きさを知る」ということでした。
これは私もよくイス坐禅の指導のときに行っているものですが、一照さんのはより一層精度が高いので、深く感じることができたのでした。
肺の大きさを図で解説されて、そして自分の身体に触れて実際に感じます。
そこに空気が入るのを実際に感じるように誘導してくださいました。
実際にコップに水が注がれていく音を出しながら、肺の下の方から上の方まで空気が入っていくのを感じられるようにしてくれたのでした。
そして⿐や⿐腔や副⿐腔、そして顔をゆるめるワークを行いました。
これなどもいろんな身体技法を学ばれた一照さんならではのものです。
割り箸を奥歯に挟んで顎をゆるませるというのも効果的だと感じました。
歯を食いしばっていてはよくないのです。
それから特に良かったのは、⼊る息を贈りものをいただくように受けとめるということであり、出る息は捧げものとして消えるに任せるということでした。
⼊ってくる息を「ありがとう」といって受け取り、迎え⼊れるのです。
吐く息は「どうぞ」といって差し出すのであり、⼿放すのです。
こういう気持ちで丁寧に呼吸をしていると身心ともに調ってきます。
そうして坐ると呼吸が私に起きているという感じがします。
調息にちなんだ言葉を教えてくださり、皆で唱えました。
それは「一息一息が自分自身という我が家に帰る」という言葉です。
そうして深い安らかな呼吸になって坐禅が終わりました。
そのあとお昼ご飯をいただき、午後から私のイス坐禅を皆さんで行いました。
呼吸一つをこんなに深く探求しておられる一照さんには改めて敬服したのでした。
横田南嶺