だるまの風
円覚寺では毎年うちわを作っていますが、今年は、そのうちわに達磨大師の絵を描いて、「清風」という讃を書いたのでした。
私も達磨大師の絵を描くことがありますが、讃に書くのは、「不識」とか「廓然無聖」が多いのです。
「清風」と書くのは初めてであります。
うちわですから、良い風が来るようにという思いで「清風」と書いた一面もありますが、達磨大師のはなしと深く関わるのです。
そんな話をしたのですが、少しまとめてみたいと思います。
『景徳伝灯録』巻三にある達磨大師の記述によって話を進めます。
『景徳伝灯録』では、普通八年に海を渡ってインドから中国に見えたと書かれています。
西暦五二七年にあたります。
中国では南北朝の時代です。
南の梁の国に来て、梁の武帝に招かれます。
そこで梁の武帝と問答をしました。
梁の武帝は、自ら袈裟をかけて『放光般若経』を講義するほどの方で、仏心天子と呼ばれていたと『碧巌録』に書かれています。
『景徳伝灯録』の記述を意訳してみます。
武帝は「私は皇帝に即位して以来、数えきれないほどたくさんの寺を建立し、経典を書写させ、多くの僧侶を出家させてきました。
これにはどれほどの功徳があるでしょうか」と尋ねます。
達磨大師は「並びに功徳無し」と答えました。
武帝は驚いて尋ねます。
「どうして功徳がないというのですか。」
達磨大師は言いました。
「それらは人間界や天上界で良い報いを受けるための、小さな善業にすぎません。
しかも、それは迷いの世界の中ではまた苦しみを生み出すものでもあります。
良い行いをしてそれに功徳があるようにみえても、それはあたかも影が形につき従うようなものです。
良い結果が得られたようにみえても、それは決して真実の功徳ではありません。」と答えます。
この問答から分かりますように、決して「無功徳」とにべもなく否定したというよりも、功徳を得たとか得ないという二項対立の世界では苦しみはやまないのだということを説いてくれているのです。
武帝は仏教の為に尽くしますものの、それが行き過ぎて国の財政を圧迫するようになってしまい、やがて反乱が起きて幽閉されて亡くなるのです。
有為の善根はもろいものです。
苦しみの原因にもなるというのはこういうこともあるのです。
そこで武帝はさらに尋ねました。
「では、本当の功徳とは何でしょうか。」
達磨大師は答えました。
「清らかな智慧が完全に円満となり、その本体がもともと空であり、静寂そのものであることを悟ることです。
そのような功徳は、世間的な行いや価値観によって求められるものではありません。」と丁寧に答えてくださっています。
武帝はさらに問いました。
「仏法の究極の真理とは何ですか。」と。
達磨大師は言いました。
「広々として何ものにもとらわれず、そこには聖なるものさえありません。」
これも聖と凡、仏と衆生という対立そのものが、究極の真理の世界では成り立たないという悟りの世界を示してくれています。
「聖なるもの」を立てれば、そこには必ず「聖ならざるもの」が生まれます。
「功徳がある」と執着すると、「功徳がない」という対立も生じます。
良い面があれば、必ず悪い面もあるのが、世の常です。
達磨大師は、その分別が起こる以前の、広々として何ものにも限定されない世界を示されたのでした。
武帝はなお尋ねました。
「それでは、今、私の前にいるあなたは、一体誰なのか。」
達磨大師は「不識。」と答えました。
しかし武帝は、その意味を理解することができませんでした。
達磨大師は、「この皇帝とは法縁が熟していない」と悟り、梁を去って魏へ向かったのであります。
そのあとで宝誌和尚から、あの方は観音様で仏の心を伝えてくださったのですと言われて後悔して使いを出して、戻ってきてもらおうとします。
しかし宝詩和尚から、国中の人が追いかけてももう達磨様は戻ってきてはくれませんよと言われてしまいました。
武帝は碑を建ててこのことを悔やみます。
「ああ、見ても見えず、遇っても遇えなかった。今も昔も、残念無念」という意味の文を刻みました。
そんなことを後に雪竇禅師が頌に詠います。
雪竇禅師の頌については、岩波書店の『現代語訳 碧巌録』から訳文を引用します。
聖諦廓然。
いつになったらツボがわかろうか。
朕と向い合っているのは誰か。
やはり「不識」という。
そのためにひそかに揚子江を渡った。
(お陰で中国全土に)いばらが生えることになってしまった。
国中の人が追っても二度とは戻らない。
永遠に空しく思い慕うばかり。
慕ってはならぬ。
涼風はあまねく吹きわたって果てしがない。
師(雪質)は左右を見廻して言った、「ここに祖師はおいでかな」。
自分で答えた、「はい」
「呼び寄せて老僧の脚を洗ってもらおう」。
という頌であります。
ここの「涼風はあまねく吹きわたって果てしがない」という原文が、「清風匝地、何の極まりか有らん」です。
山田無文老師は次のように提唱なさっています。
「達磨の境地は清風匝地だ。匝地はこの地上に限りなく、ということである。
この地上に限りなく清風が吹いておるではないか。
目には見えんが達磨の清風は今も吹き渡っておる。
達磨の肉体は亡くなったかも知らんが、真実の達磨は亡くなってはおらん。
宇宙に遍満しておる。地上に清風が満ちあふれておるように、達磨大師は世界中に満ちておる。
柳は染む観音微妙の色、松は吹く説法度生の声だ。
見るもの聞くもの、ことごとく達磨だ。
一木一草、達磨でないものはない。
見渡すかぎり達磨だらけだ」と説かれています。
真の達磨様は無分別の世界であり、仏心そのものであります。
それは風のように吹き渡っています。
この天地一杯に充満しています。
良いも悪いも、功徳の有る無しも、知る知らないも超えた世界に、その清風は今も吹き渡っているのであります。
横田南嶺