慈雲尊者に学ぶ
小金丸先生は、真言宗の僧侶であり、長年慈雲尊者の研究をなさっておられます。
十善戒は、円覚寺で行っている布薩においても大事にしている戒であります。
しかし、その内容について深く考察することはあまりありません。
「戒・定・慧」の三学が仏教の基礎であることはいうまでもありません。
またこの現代においても戒のもつ意味、その重要性を感じますので、慈雲尊者が説かれた「十善法語」について勉強しようとお願いしたのでした。
小金丸先生は、九州にお住まいなので、講義の前の日にお越しいただきました。
小金丸先生は在家のお生まれで、高野山で出家し修行なされた方でいらっしゃいます。
慈雲尊者について、NHKのテレビでも講義なされています。
著書もございます。
その日はありがたいことに、慈雲尊者の
十善是菩薩道場
という一幅をお持ちいただいて、ご講義してくださいました。
慈雲尊者は、その墨跡も素晴らしいものです。
この十善是菩薩道場の一幅もその前に坐ると、それだけでこちらが清められる思いがします。
どこにも力が入ってなく、力みも作意もないのですが、それだけに力があるのです。
こういう書を書ける方というのはどういう方かと想像するだけで心が清められる思いがします。
慈雲尊者は、森信三先生も『修身教授録』において高く評価されています。
「葛城の慈雲尊者になりますと、これはどうもたいしたものです。おそらく尊者は、日本仏教の最後の締め括りをされた方と言ってもよいでしょう。今はその詳細を申している暇はありませんが、とにかく尊者の偉大さは、少なくとも私には、道元、親鸞、日蓮というような方々と比べて、豪も遜色はないと思うのです・・・私は、この慈雲尊者という方は、実に好きでしてね。好きという点では、あるいは道元や親鸞以上に好きと言ってもよいほどです。それというのも尊者の主著の『十善法語』という書物は、その格調の高さから言えば、まさに道元の『正法眼蔵』と豪も遜色がないにもかかわらず、そこで取り扱われている内容は、上は王侯から下は一般庶民の生活に至るまで、この人間の世のあらゆる相を把握していられるのであって、こうした書物は一千年以上にもわたるわが国の仏教史の上でも、外にほとんどその類例が見られないと思うのです。」
と書かれています。
これは私も全く同感なのであります。
これほどに学があり、これほどに行を修めて、これほど素晴らしい書を書ける方というのは、日本の仏教の祖師にも他に例がありません。
慈雲尊者は 西暦一七一八年、大阪の中之島に生まれました。
十三歳の時、父の遺言により大阪の法楽寺で出家します。
元々は朱子学を学び仏教を嫌っていたそうですが、密教の修行で観音様の霊験を得て熱心に修行するようになりました。
十九歳で沙弥戒を受け、二十一歳で具足戒(大乗戒)を受けています。
当初の法名は「忍瑞」だったのですが、後に「慈雲 飲光」に改めています。
二十二歳で大阪の法楽寺の住職になりますが、二十四歳の時、法楽寺の住職を弟弟子に譲り、曹洞宗の信州正安寺に足掛け三年間参禅しています。
三十四歳の時には、堺の長慶寺(大徳寺派)で『臨済録』を提唱しています。
六十六歳の時にも京都の円満寺で再び『臨済録』を提唱しています。
三十五歳の時、『方服図儀(ほうぶくずぎ)』を著し、袈裟の正しい縫い方、材料、染め方、寸法などを詳細に規定します。
これは形の上から戒律を整えようとしていることを表しています。
四十一歳の頃に『梵学津梁』という千巻にも及ぶサンスクリットの資料を作成します。
五十六歳の時、十席にわたる『十善法語』の開講を行います。
これを何度も校正して『十善法語』が成立しましたが、生前には刊行されず死後に出版されたそうです。
『十善法語』の完成後は、河内長野の高貴寺に移り住み晩年を過ごします。
六十四歳の時、『十善法語』の要約版である『人となる道』を著します。
八十七歳で京都の阿弥陀寺にて、『金剛経』を講じて、亡くなりました。
今回、十善戒の中でも不綺語について詳しく解説してくださいました。
綺語というのは言葉を飾り立てることです。
飾り立てた言葉は、素朴な素直さを失い、心の散乱を招くもとになります。
綺語による戯れは、憂いや苦悩を招きますが、綺語がなく、言動も控えめで誠実であれば、謹慎篤実となります。
慎み深く実直であれば、そこには大いに楽しみや喜びが生まれると慈雲尊者は説かれるのです。
このあたりの洞察が深いものであります。
単に言葉を飾り立てないという道徳だけでは終わらないのです。
小金丸先生の著書『慈雲尊者の『十善法語』を読む』(大法輪閣)には、その様々な楽しみの中で農業の楽しみとして次のように説かれています。
「春に田を耕し、夏には草を刈り、労力を使った後は成就を天に任す。この作業そのものが天の道を楽しむことだといえよう。時が来れば種を蒔き、時が来れば成熟した実を得る。このように常に時期を誤ることなく巡ってくるのは時の公平性によるのである。孔子も季節はずれのものは食べない、と言っている。その土地に相応しい作物を察して植えることは、土地の公平性に従うものである。古に、淮南の橘を准北に移植すれば枳に変化するとある。面白いことだ。
農民の食事は自分の労働を食べるのである。着る物は自分の労力を着るのである。腹が減っては食べ、労働しては休息する。自然のままに排して実りを得る。村々が力を合わせる。その人々の交わりは、学問や徳があるすぐれた人にもまさる。親戚同士も助け合う。その親しみは地位のある人にもまさる。礼儀作法をうるさく言わなくても子供は大人を敬い、大人は子供を可愛がる。
夫は田畑を耕し妻は弁当を作り、恨みや嫉妬が少ない生活である。このようなことは天が憎まないことであり、物事の公平さをあらわすものである。
太陽が昇れば耕し、日が沈むと家に帰る、そこに楽しみがある。年貢を怠らないところに楽しみがあり、その余分で父母に仕え、妻子を養うところに楽しみがある。これが天が与えた真実の楽しみというべきである。この楽しみは、音楽の楽しみが及ぶところではない。まして、ざれごとや綺語の楽しみが及ぶところではない。」
と説かれているのです。
飾り立てた言葉を使わないということから、実直に生きることを説き、そこには楽しみがあると説かれているのです。
お釈迦さまは、人生は苦であると説かれたのですが、慈雲尊者はそこに楽しみを見いだしておられます。
これは素晴らしい教えだと感じいりました。
横田南嶺