仏教伝道の願い
六月三日に名古屋のNHK文化センターで講演を頼まれていました。
名古屋のNHKでは初めてのことです。
お声をかけていただけるのは有り難いことであります。
有り難いこととお引き受けしたものの、三日に台風が近づくという予報でありました。
現場に着けないということが一番困ります。
前日のお昼には開催を決定されましたので、なんとか行かないといけません。
ただ台風が近寄るのと、こちらが名古屋に向かうのと、同じ頃になります。
大事をとって前の日の晩に駅の近くで泊まることにしたのでした。
その前の日は午後から仏教伝道協会の理事会でありました。
仏教伝道協会様から理事になるように依頼されたのは昨年でありました。
昨年理事に就任したのですが、昨年の理事会はすべて、既に私の予定が埋まっていたのでした。
自分でもあまり忙しいと意識することはないのですが、改めて理事会の日がすべて予定が入っているとなると、やはりけっこう忙しいのかもしれないと思ったのでした。
今年の理事会には出られるように日程調整をあらかじめしておいたので、初めての理事会でありました。
仏教伝道協会は、学生の頃から思い出があります。
あの頃はまだ初代の沼田恵範先生もご存命の頃であります。
恩師の松原泰道先生が、この仏教伝道協会の活動に賛同されていて、講演や講座などをなさっていたのでした。
私も学生の頃に何度か松原先生のご講演を仏教伝道協会で拝聴したものです。
沼田恵範先生のお心をそのご子息である沼田智秀(としひで)先生が引き継がれました。
この沼田智秀先生には何度かお目にかかったことがあります。
とても真摯な仏教者であると感じていました。
沼田恵範先生は一八九七年のお生まれで、一九九四年にお亡くなりになっています。
九七歳と長寿でいらっしゃいました。
公益財団法人仏教伝道協会の発願者であります。
沼田先生の人生を貫いたのは、「仏教を世界に伝えたい」という強い願いでした。
また沼田先生は、精密測定機器メーカーの株式会社ミツトヨの創業者でもあります。
この仏教伝道協会とミツトヨの二つが深く関わりあっているのです。
沼田先生は広島県の浄土真宗寺院の三男として生まれました。
幼い頃から信仰深い母の影響を受けて育ちました。
そして仏教伝道を強く志すようになりました。
十九歳で浄土真宗本願寺派の開教使補として渡米し、苦学の末に統計学を学びました。
アメリカで苦労して学ぶうちに、肺結核に罹ってしまいます。
当時は不治の病として畏れられていました。
そんな折に沼田先生は、親鸞聖人の言葉に救われます。
「一人居て喜ばば、二人と思え。二人居て喜ばば、三人と思え。その一人は親鸞なり」
という言葉だったといいます。
この言葉に沼田先生は深く励まされました。
自分は孤独ではない、親鸞聖人が共にいてくださるという安心感を得たというのです。
仏法に支えられて心の絶望が和らぎ、生きる力を取り戻していきました。
仏教伝道協会のホームページから閲覧できる沼田先生の浅草寺における講演録に、
「日本を出る時、私の母は真宗聖典とお数珠を、父は自分で「南無阿弥陀仏」と名号を書いて私にもたせてくれておりました。私が与えられていた部屋は、地下室で、うす暗く湿っぽいところでしたが、その壁にこの名号を掛け、仕事が終るとその前で、数珠をかけてお経を読む。これが私の新たな日課となり、そしてこれがただひとつの精神的支えとなりました。今、ひとり私がここで倒れても、けっして私はひとりぼっちではない、親鸞聖人だけはじっとこの私を見守っていてくださる。そう思うだけで私の心は慰められたのです。
不思議なことに、この新たな日課を続けているうちに、私の病気は段々とよくなっていったのです。」
と書かれています。
「仏教によって生かされた」という思いを強くした沼田先生は、仏教文化を伝えるために雑誌を創刊しました。
仏教だけでなく、日本と東洋文化を紹介しようとしたのでした。
しかしながら資金難によりわずか四年で廃刊となってしまいます。
経済的な基盤がなければ何もできないことを痛感されました。
そこで沼田先生は帰国後に事業を興し、それを基盤とした仏教伝道を構想したのでした。
「仏教を広めるためにはまず経済的基盤が必要だ」ということです。
伝道資金を自らの手で生み出そうと決意して一九三四年に創業したのが、三豊製作所であり、後のミツトヨとなります。
その目的は単なる事業の成功ではなく、仏教伝道を支える財源を築くことにあるのでした。
この事業が成功して、一九六五年に仏教伝道協会を設立しました。
この協会は『仏教聖典』の編集・翻訳・配布をはじめ、世界各国への仏教文化の普及に取り組みました。
伝道協会では、お釈迦様の説かれた教えを解りやすく伝えるため、さまざまな「お経」の中から、教えの大切な要素をまとめて現代語訳し、日常のやさしいことばに翻訳して『仏教聖典』を作っています。
この『仏教聖典』を英語、フランス語、ドイツ語、中国語をはじめ、46の言語に翻訳刊行しています。
もっともよく知られているのは、日本のみならず世界のホテルに『仏教聖典』を寄贈していることであります。
世界一万五千軒以上のホテルに常備されているというのです。
昨年からこの仏教伝道協会の理事に頼まれて就任していますが、どうして私が頼まれたか不思議に思っていました。
調べてみると、財団設立発起人に当時円覚寺の管長だった朝比奈宗源老師も名を連ねていたのでした。
これもご縁だと思いました。
どれほどのお役に立つかは分かりませんが、仏教伝道のお役に立てればと願っています。
横田南嶺