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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.06.10
今日の言葉

この世界のしくみ

先日、NHK文化センター名古屋教室のおまねきをいただいて講演をさせてもらいました。

午前中に台風が通りすぎたので、午後の講座でしたから開催することができました。

こちらは、

ひとの大学シリーズ「この世のからくり、世界のしくみ」

という全六回の講座であります。

パンフレットには「多彩な研究者が、最新研究から人間を探る人気の白熱講義シリーズ2026年度春夏編は、「この世のからくり、世界のしくみ」をテーマに多角的に探っていきます。」と書かれています。

全六回の講座ですが、有り難いことに私の講座のみ一回だけ受講ができるようになっています。

第一回は五月一三日で、「計算はどこまで速くなるのか-組合せ最適化から見る計算限界」という題で、名古屋大学大学院情報学研究科教授の小野廣隆先生が、

次に五月二十七日に「素粒子-私たちは何でできていて何によって動いているか」という題で、名古屋大学大学院情報学研究科教授の谷村省吾先生が講演なされています。

その次が私で、「禅の教えに学ぶ」と題して話をしました。

そのあと、来月に「コミュニケーション社会、生成AI社会においてコミュニケーションは今どうなっているのか」や、「悪いことばの力ー悪口·愚痴からプロパガンダまで人を動かす ことばの仕組みを探る」、「古代中国における人間観·自然観」という講座が続くようであります。

お歴々方の先生に交じってお話させていただくのであります。

私の講座は特別講座としてスズケン市民講座「心の時代を拓く」という講座ということにもしていただいていたのでした。

スズケンというのは、名古屋にある医薬品卸売事業を中心にした会社であります。

あらかじめ講演の要旨を書くように言われて、

「ブッダは、人がこの世に生きることは、苦しみであると説かれました。苦しみの原因は自己中心の欲望から生まれるとして、修行して煩悩を滅する道を示されました。禅では、更にこの世に生きることに積極的な意味を見いだしました。そんな禅の教えに学びます。」と書いておきました。

九十分の講座で、はじめに二十分ほどで自己紹介を兼ねて私の今日までの歩みと禅の教えの特色を話しました。

禅というのは特別な教義が定められているわけではありません。

その人その人の道を求めた生き方と、その体験から出た独自の表現によって伝わっています。

そこで私の今日までの歩みをはじめにお話したのでした。

それからブッダがこの世界をどのように見ていたのかについて話をしました。

ブッダの教えは、この世は苦しみであると説かれました。

また「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、死の王は見ることがない」(『ブッダのことば』スッタニパータ)
と説かれたのでした。

そこから苦であるということはどういう意味なのかを話しました。

それは無常であり、無我であることです。

無常とは一刻一刻うつりかわることです。

無我とは固定した実体を持たないことを言います。

無常であり無我であることを、空とも申します。

無常であり無我であり、空であるので、それに執着することを否定されました。

一切の執着を離れて解脱を求めるというのがブッダの教えであります。

ブッダが「「大徳よ、世間、世間と称せられるが、一体どのような意味において世間と称せられるのであろうか。」と弟子から問われて、

「比丘よ、破壊するが故に世間と称せられるのである。比丘よ、眼は破壊する。鼻は破壊する。舌は破壊する。身は破壊する。意は破壊する。また、それらの触(感官)を縁として生ずるところの感受は、楽なるものも、苦なるものも、あるいは非楽非苦なるものも、すべてまた破壊するのである。比丘よ、このように、すべてが破壊し遷流するが故に、世間と称せられるのである。」「世間 loka に遷流の義がある」(増谷文雄『阿含経典による仏教の根本聖典』)とお答えになっているのは、ブッダがこの世界をどうみたのかをよく表しています。

この世界は壊れゆくものなのです。

そこに執着していてはならないのです。

苦しみを続ける輪廻から解脱を求めたのでした。

そこから更に禅は独自に発展しました。

この無常であり、苦であるこの世の中でいかに生きるか、積極的な意味を見いだしてゆきました。

苦しみの世にあって、そこに染まることなく、自由に生きていくことを説いたのです。

自由といっても勝手気ままという意味ではありません。

ブッダの「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」という言葉を紹介して、よくととのえられた自己によって主体性を確立する教えであります。

そこでいかによく自己を調えるのかについて、後半にはその実践方法についてお話しました。

まず戒を守って生活をととのえることです。

そして目、耳、鼻、味覚、身体に触れる感覚を刺激するものから離れることです。

そして「むさぼりを離れること。怒りを離れること。心が暗く沈む状態から離れること。心が振り回されて落ちかない状態から離れること。師の教えや、仏の教えを疑うことから離れること。」などであります。

それから「適度な食事をとること。適度の睡眠をとること。身体を調えること。呼吸を調えること。心を調えること。」を話しました。

禅の教えは、まず自己をよく調えて、心の平安を得て、そのととのえられた心によって正しい判断をして、現実の世の中にあって思いやりのある行動を実践するものであるとお話させてもらいました。

 
横田南嶺

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