お釈迦様の教え
『無門関』を第一則から読むのではなく、まずはお釈迦様の公案を取り上げてみました。
初日では、第六則の「世尊拈花」と第三十二則の「外道問仏」の公案を取り上げたのでした。
外道問仏という公案は、次のような内容です。
「お釈迦様に異教徒が、有言も無言も問わないというと、お釈迦様は黙って坐っていた。
異教徒は褒め称えて、お釈迦様は大いなる慈悲のこころで私の迷いを開いて、私を悟りの世界に導いてくださったといって、御礼を言って去って行った。」
という話から始まります。
原文は
「世尊、因みに外道問う、有言を問わず、無言を問わずと。世尊座に拠る。
外道賛嘆して云く、世尊、大慈大悲、我が迷雲を開いて我をして得入せしむと。乃ち礼を具して去る。」となっています。
原文では「外道」となっていますが、「異教徒」と訳しました。
訳にあたっては、柳幹康先生の『法眼録·無門関』新国訳大蔵経·中国撰述部、大蔵出版)を参照しています。
「外道」という言葉を『広辞苑』で調べてみると、
①に「仏教語」として「仏教以外の教え。また、その教えを奉ずる者。六師外道、九十五種の外道など。」と解説されています。
そのほかに「②真理にそむく説。邪説。また、それを説く者。
③災難をもたらすもの。悪魔。
④邪悪の相をあらわした仮面。
⑤他人をののしっていう語。」などという意味が書かれています。
はじめに仏教語として意味が書かれているのです。
「外道」は「仏教以外の教え。また、その教えを奉ずる者。」という意味であり、ここでは仏教以外の教えを奉ずる者の意で、「異教徒」としました。
お釈迦様に質問したのは「有言も無言も問わない」ということですが、これは有言、無言を離れるだけでなく、生と死、有と無、語と黙一切の相対を離れて一句どう説くかという難問であります。
それに対してお釈迦様はただ「黙って坐っていた」のです。
原文は「座に據る」となっています。
これは有言に対する無言ではありません。
お釈迦様は、有言と無言、迷いと悟り、有と無、是と非、一切の相対概念を超えた世界に静かにお坐りになっていたのであります。
異教徒とはいえ、そのお示しで気がついたのでした。
真理の目覚めは、仏教徒であるとか異教徒であるとかいう違いを超えていることを表しています。
それをお釈迦様のおそばでご覧になっていたのが阿難尊者です。
阿難尊者はお釈迦様のいとことも言われ、お釈迦様の晩年はずっと侍者としておそばに仕えていました。
ただ阿難尊者はお釈迦様がお亡くなりになってその後に悟りを開いたと言われます。
この時にはまだ悟りの眼が開いていませんでした。
それで不思議に思われたのです。
原文では「阿難、尋いで仏に問う、外道、何の所証有ってか賛嘆して去る」と聞きました。
かの外道はいったい何を悟ってお釈迦様を褒め称えて礼拝して去ったのですかと聞いたのです。
それに対して「世尊云く、世の良馬の鞭影を見て行くが如し」と答えられました。
良馬の鞭影といって四つの馬の譬えが説かれています。
一には鞭の影をみて御者の心を察して走ってゆく馬です。俊敏な譬えです。
次には、鞭が毛に触れて走り出すのです。
三には、鞭が肉に触れて走り出す、四つには、鞭が骨肉に徹して初めて走り出すのです。
この公案に対して無門禅師は「阿難尊者は仏弟子でありながら、かの異教徒にも劣るではないか、仏弟子といって、どれだけの違いがあるというのか」と書かれています。
異教徒であろうと、仏弟子であろうと、一切の相対概念を離れた世界ではその目覚めにおいて違いはないのです。
そんな教えを学ぶことができます。
授業のあとは、花園大学の花まつりの法要を行いました。
花園学園の洛西幼稚園の園児たちが来てくれて、お灯明やお香やお花を供えてくださいます。
そのあと私が焼香して般若心経を唱和します。
少しだけお話をして、園児たちが歌を元気に歌ってくれます。
私の話は、園児たち向けですので、いつも簡単なことしかお話しません。
お釈迦様は、長い修行の末にみんなが幸せに生きる道を見つけました。
それは自分がされたら嫌だなと思うことを人にはしないことです。
自分が言われて嫌だなと思うことは人に言わないことです。
されたら嫌だと思うことは人にしないことです。
これを守れたらみんな幸せに生きることができます。
しかし残念ながら大人はこれができません。
できないから今も戦争が終わりません。
争いが尽きないのです。
自分がされたら嫌だと思うことは人にしない、このことを胸においてくださいと申し上げたのでした。
これは「人の思惟(おもい)は何処へも行くことができる。
されど、何処へ行こうとも、
人は己れよりも愛しきものを見いだすことを得ない。
それと同じように、
すべて他の人々にも自己はこのうえもなく愛しい。
されば、
おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ。」
という教えに基づいています。
増谷文雄先生の『阿含経典による仏教の根本聖典』にあります。
「ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なる園にあられた。その頃のある日のこと、コーサラ国の王パセーナディは、マリッカー夫人とともに高楼に登って、雄大な眺めをたのしんでいた。そのとき、王はふと夫人に問うて言った。
「マリッカーよ、そなたは自分自身よりも、もっと愛しいと思われる者があろうか。」
「大王、わたしには、自分よりももっと愛しいと思うものは考えられない。大王には、ご自分よりももっと愛しいと思われるものが、あるであろうか。」
「マリッカーよ、わたしにも、自分自身よりも愛しいと思われるものはない。」
そこで王は、高楼をくだって、世尊を訪れ、世尊に白して言った。
「世尊よ、今日わたしは、夫人のマリッカーとともに、高楼に登っていた時、ふと、彼女に、この世に自分自身よりも愛しいものがあろうか、と問うてみた。
彼女は、自分自身よりも愛しいものは考えられぬ、と答えた。
そして、わたしはどう思うかと問いかえしたが、わたしにも、自分自身よりもさらに愛しいものは考えることができなかった。
そこで、わたしにも、自分自身よりも愛しいと思われるものはない、と答えるほかはなかったのであるが、このことはいかがであろうか。」
世尊は、聞いてふかく首肯き、さて偈をもって、このように教え説かれた。」
といって説かれた教えであります。
人を害してはならない、この教えを子供の頃から胸に刻んでほしいと願います。
花まつりのあと、花園大学の硬式野球部が、このたび京滋リーグで優勝して全国大会に出るのでその壮行会を行いました。
選手の皆さんを激励して、そのあと私は妙心寺派和歌山教区花園地方大会で講演するために和歌山県の白浜に向かったのでした。
横田南嶺