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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.06.03
今日の言葉

よい日とは

花園大学の創立記念日に、妙心寺派管長である山川宗玄老師と公開対談をさせていただきました。

現代に生きる禅の心と題しての対談でした。

対談といいましても、専ら私が聞き手となって、山川老師からいろんな話をうかがいました。

はじめに生い立ちから学生時代のお話、出家の因縁、そして修行時代の話など、これらを聞いているだけでかなりの時間が経ってしまいました。

山川老師はとても丁寧にお話くださいました。

また修行時代の話にしても、決して単なる思い出話ではなく、そこに深い禅の教えが込められているのです。

あらかじめ対談の前に相談していたのは、はじめに老師の今日までの歩みをおうかがいして、最後には妙心寺の微妙大師ご遠諱のテーマとされている、「少水の魚に楽しみ有り。いまここを生きる幸せ」について話をする予定でした。

ちょうどその対談の時には、対談した建物の四階に花園大学歴史博物館があって、そこに微妙大師の「少水の魚に楽しみ有り」の墨跡が出されていたのでした。

私は対談の前に拝見することができました。

微妙大師という方は、授翁宗弼禅師のことであります。

微妙大師は、後醍醐天皇の側近であり南朝の忠臣として名高い萬里小路藤房(までのこうじふじふさ)であると言われています。

妙心寺の開山無相大師の法を継がれた方であり、妙心寺の第二世でいらっしゃいます。

「少水の魚に楽しみ有り」という言葉はあまり聞き慣れないものです。

もともとは『法句経』無常品第一に、次の偈があります。

是の日已に過ぐ
命も則ち随って減ず。
少水の魚の如し、
斯に何の楽しみか有らん。

という偈であります。

「是の日已に過ぐ」というのは、今日という一日はもう終わろうとしている、という意味です。

「命も則ち随って減ず」というのは、今日が過ぎれば、その分だけ寿命も減っていくことを言います。

それは「少水の魚の如し」ですから、池の水が減っていくと、魚は生きる場所を失っていくのとおなじようなものです。

「斯に何の楽しみか有らん」、そのような状態で、いったい何にうかうかと楽しんでいられようかというのです。

「少水の魚に楽しみ有り」の一幅は微妙大師の塔所である妙心寺塔頭天授院に伝来しているそうです。

『法句経』の偈がもとになっていることが分かります。

『法句経』で説かれているのが、無常の人生に楽しみはない、ということですが、微妙大師は敢えて楽しみがあると仰せになっているのです。

そんな教えを味わうのに、山川老師は、ある末期ガンの方の話をしてくださいました。

もうかなり以前の話だそうですが、正眼寺にいらっしゃって、夜の八時頃、ある男性が寺を訪ねてきました。

そんな遅くに訪ねてくるのですから、普通ならお断りするのですが、その男性は、「妻の命がもう長くありません。どうしても老師の書をいただきたいと言っているのです」と必死に願われたそうなのです。

話を聞けば、奥様は末期のガンで、医師からは「あと一週間ほど」と告げられているとのことでした。
その奥様という方は、正眼寺にご縁のある方だったそうです。

余命幾ばくもないと分かってご主人に正眼寺の老師の書をみたいとお願いされたのです。

そこで山川老師は部屋に戻り、静かに墨をすりました。

こういう時にはあれこれと考えないのだと仰っていました。

墨を擦っていると自然と言葉が浮かんでくるのだというのです。

そして書いたのが「好日」という言葉でした。

よい日という意味です。

書いてみましたが、余命一週間の人に「好日」と書くのは、常識的には考えられないことです。

人生の終わりを目前にして、「良い日です」と言われても、素直には受け取りにくいでしょう。

そこで老師は、そのご主人に伝えました。

「奥様に、この字を見ながら、これまでの人生の中で本当に嬉しかった日、楽しかった日、よかった日を思い出してください、とお伝えください。」というのです。

人生には辛いこと、悲しいこと、苦しいことが数えきれないほどあります。

しかしその中に、ほんのわずかでも「ああ、あの日は良かった」と思える瞬間があります。

ご主人はその色紙を病院へ持ち帰りました。

奥様は衰弱しきっており、色紙を見ては休み、また目を覚ましては眺める、そんな日々を送っていたそうです。

ところが不思議なことに、一週間経っても亡くなったという知らせが来ません。

あとで聞いたことらしいのですが、やがて「水が飲みたい」と言われ、水を口にしても大丈夫だったそうです。

次には「お粥が食べたい」と言い、さらにご飯まで食べられるようになったというのです。

もちろん病そのものが治ったわけではありません。

医師から見れば、いつ亡くなっても不思議ではない状態だったそうですが、奥様は次第に穏やかさを取り戻し、見舞いに来る人々とも静かに語り合うようになったといいます。

そしてある時、自分の写真を選び、「これを使ってね」と家族に伝え、指輪やイヤリングを形見として分け始めたのです。

そして亡くなる朝、ご主人だけがそばにいる時に、奥様は静かにこう語られました。

「私はもう死ぬのは怖くありません。でも、あなたを一人残していくのが辛いですね。」

そう言って、「ありがとう」と言い残し、静かに息を引き取られたというのです。

山川老師は、お互いに生きてきたこれまでの歩みを振り返ってみれば、「本当に楽しかった」「素晴らしかった」「心から嬉しかった」という日は、それほど多くはないのではないかと仰いました。

普段の生活はごく平凡なものであったり、時には厳しく、悲しく、苦しいことの方がむしろ多いのが人生だと仰います。

それでも、そのような日々の中に、ふと現れるわずかな喜びや感動の瞬間があります。

「あの日は本当に嬉しかった」「あの時は楽しかった」と思える日があるからこそ、私たちは勇気づけられ、今日まで生きてくることができたのだというのです。

この奥様が「好日」という字を見つめながら、これまでの人生を振り返っていかれたのだと思います。

苦しくて辛くてたまらない現実の中にありながらも、「ああ、今この時間もまた、かけがえのない時間なのだな」と感じられたのではないかと老師は語られます。

人生には辛いことも、苦しいことも、悲しいこともたくさんありますが、その一日一日が本当はかけがえのない一日であり、その積み重ねによって今の自分が生かされているのです。

そのことが、この奥様には切実な実感として分かったのだというのです。

そうであるならば、病の苦しみの中にあるこの瞬間でさえも、「本当にかけがえのない一日なのだ」「今この時こそが尊い時間なのだ」と受け止めることができたのだと老師はおっしゃっていました。

無常の世にあって楽しみを見いだしていくのです。

まさに「少水の魚に楽しみ有り」という教えを深く味わうことができました。

 
横田南嶺

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