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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.05.27
今日の言葉

禅問答と公案

「禅問答」という言葉を『広辞苑』で調べてみると、

①禅家で、修行者が疑問を問い、師家がこれに答えるもの。

②転じて、ちぐはぐで分かりにくい問答。

と説かれています。

「公案」という言葉も、『広辞苑』には載っています。

どういう解説かというと、

①公文書の下書。官府の調書。訴訟の目安。

②禅宗で、参禅者に対して言葉で与える課題。

先人の言行などを内容とする難問を与え、それを思考させることを通じて、とらわれの心から脱却させ悟りの世界に入らせることを目的とする。

という解説であります。

入矢義高先生の『禅語辞典』には、「公案」は
「官庁の裁決案件。ひいて古則公案」と説かれています。

『広辞苑』の解説は簡潔ですが、よく説かれています。

岩波書店の『仏教辞典』には、

「禅の問答、または問題をいう。元来は官庁の調書・案件を意味する法制用語の一つだが、後に師が弟子を試み、指導するための問題を意味する禅語となった。

唐末の睦州道蹤(780-877)がある参問者に答えて、「現成公案、(なんじ)に三十棒を放(ゆる)す」(即決裁判で、三十棒与えるところを、特に猶予してやる)とあるのが古い用例。」

と書かれています。

ここに書かれている通り、「師が弟子を試み、指導するための問題を意味する禅語」なのであります。

更に『仏教辞典』には、

「最初の問答を<本則>(もととなる公案)、または<古則>(古人が提示した公案)、<話頭(わとう)>(話題、テーマとなる公案)、<話則>(同)などと呼び、次第にそれに向かって参禅工夫する公案禅、または看話(かんな)禅の時代となった。

宋代は、一般士大夫の間にそうした看話の関心が高まって、古則を集めた<挙古(きょこ)>や、韻文の頌をつける<頌古(じゅこ)>、散文のコメントを集めた<拈古(ねんこ)>など、種々の公案集が編(あ)まれた。」

と解説されています。

そして「圜悟克勤が雪竇重顕の『頌古百則』を講じた『碧巌録』や、無門慧開が48則の公案に評と頌をつけた『無門関』は、代表的著作である。

とくに後者の最初に収める趙州従諗の<狗子仏性>の公案は、看話修行の典型となる。狗子(犬)に仏性が有るかと問う僧に趙州が「無」と答えたというもので、江戸時代に白隠慧鶴が発明した<隻手の音声>という公案と共に、今も禅の修行の初関とされる。」

と説かれています。

じつに親切なる解説です。

このところ、修行僧達と禅文化研究所で発行した『文字からはじめる禅』を学んでいます。

そこには、禅の問答から公案が成立していった過程を簡潔に解説してくれています。

「いったい、禅の問答が最も活発に行なわれたのは、すぐれた禅僧たちが各地に登場し、それぞれが独自の禅を挙揚した唐代のことである。

そして、いったん成立した禅間答は、やがて弟子たちによって「語録」として記録されることで確立する。

だが、語録が編まれるようになったことで、唐代では当たり前に行なわれていた禅問答が次第に行なわれなくなっていった。

それは、その時々の状況に応じてやりとりされる生の禅問答に代わって、記録された禅問答を手本として祖師の悟りを追体験するようになったからであった。

やがて、悟りを追体験するために、語録に記録された禅問答の中から、すぐれたものが選び取られて広く禅界で使われるようになった。」

というのです。

はじめは弟子と師匠とのやりとりでした。

その言葉を取り上げて、師匠が弟子に課題として与えるようになったのです。

そして「これらは、「則るべき古人の行履」として「古則」とよばれ、
また、倣うべき「裁判の判例」として「公案(公府の案牘)」ともよばれた。」

というのです。

たとえば趙州和尚の無字の公案にしてももともとは、

僧が問う、「犬にも佛性が有りますか?」
師、「無い。」
僧、「上は諸佛から下は蟻に至るまで、すべてに佛性が有るのに、なぜ犬には無いのですか?」
師、「そいつには業識性が有るからだ。」

という問いと答えでありました。

それが五祖法演禅師の語録には、

「上堂して次の話を取りあげた。

「犬にも佛性がありますか?」

趙州は「無」と答えた、

僧、「一切衆生にはみな佛性があるのに、なぜ犬には無いのでしょうか?」

趙州、「そいつには業識性があるからだ。」

師は言った、「大衆よ!諸君は普段どう会得しているか?

わたしは普段この話を取りあげる際、「無」というところでやめている。

諸君がもしこの「無」の字を通り抜けることができたなら、どんな人も諸君に手出しすることはできぬ。

諸君はどう通り抜けるか?
通り抜けられる者はいるか?
いるなら出て來て言ってみよ!
わたしは諸君に「有る」とも言わせぬ、「無い」とも言わせぬ、「有るのでもなく、無いのでもない」とも言わせぬ。さあ、どう言うか?」

と説かれているのです。

これは五祖法演禅師の語録にある上堂の言葉です。

修行僧と趙州和尚の犬の仏性をめぐる問答だったのが、この「無」の一字だけをまるで関門、関所のように取り上げて修行僧たちに迫っているのです。

公案として参究させるようになっているのです。

五祖法演禅師のお弟子が圜悟禅師で、そのまたお弟子が大慧禅師であります。

大慧禅師は、この「無」の一字を公案として士大夫という、今で言えば官僚にあたる人たちに与えて修行をさせていたのでした。

大慧禅師は、この「無」の一字を悪しき知識、分別を打ち砕く強力な武器だと説かれています。

二六時中、行住坐臥すべての営みの中で、この無字を念頭において心を覚醒させるのだと説いています。

無は精神を集中して悟りを目指すためのものとなっていったのでした。

 
横田南嶺

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