坐禅は運動だ
このところ、修行僧達に講習してもらうことが続いていましたが、先日は久しぶりに個人の稽古となりました。
井上さんの身体感覚には学ぶことがたくさんあります。
先日も新たな発見、気づきがありました。
結論は、「坐禅は運動である」ということです。
始まる前にお茶をいれていろんな話をしていました。
この頃の話題のクマの話になりました。
これも不思議な現象であります。
報道されるようになったからより一層気になってくるのか、分かりませんが、とにかく報道が多いと感じます。
東北ばかりでなく、長野や西日本でも目撃情報が出ています。
五月のはじめに都内のお寺で法話をしていて、都内にいればクマも関係ないと思いますと申し上げたのですが、都内でも目撃の情報が多いのです。
それから最近の気候も異常だという話題にもなりました。
円覚寺の境内を歩いていても、もう梅の実がたくさん落ちていることに驚かされます。
かつては梅の実を取るのは、六月の下旬でありました。
それがもう五月に落ちているのですから、かなり早くなっています。
それからその稽古の日は汗ばむ暑さでありました。
五月下旬ですが、もう真夏の日射しを感じるのでした。
そんな話をしながら、今回はもう一度しゃがむと立ち上がる稽古をお願いしました。
これは何度も教わっていることですが、もう一度丁寧に習いたいと思ったのでした。
しゃがむと立ち上がるというのは、私のように和室で暮らしていると、一日に何度も繰り返します。
この何度も繰り返す日常の動作こそが大事だとこの頃感じるのです。
井上さんはヨガも習っておられるし、甲野善紀先生に師事して古武術にも詳しいのですが、私はもう今から武術を習得して強くなろうという気はないのです。
日常の動きと坐禅との関連、これがもっとも関心のあるところです。
一歩一歩の歩きもとても気になっています。
しゃがむという動作を丁寧に行いました。
歩く動作にしても、井上さんは地面を蹴って歩くのではないと教えてくださいます。
地面を蹴って踏み締めて動くのではなく、地面へ垂れ流されている体重を、『浮き』によって回収するのです。
回収された重さをまとめることで、踏ん張って力で蹴る必要がなくなります。
しゃがむにしても足の裏で必要以上に床を押すのではありません。
井上さんのおっしゃる「垂れ流す」のではなく、引き込む、回収する感じなのです。
これは腸腰筋を使っているのですかと質問しましたが、井上さんは腸腰筋という固定した言葉や概念を使うことをなさいません。
身振り手振りで、このあたりを引き上げる感じだと示してくださいます。
言葉や概念でつかむよりも、感覚を大事にしているのです。
その感覚をこうして言葉で伝えるのはとても難しくなります。
泥の中に足がスポッとはまってしまって、それを引き抜くような感じであります。
これを井上さんが私の足首あたりをつかまえて、私がその足を引き上げるようになんどか繰り返しました。
そのあとで歩いてみると、引き込む動きをしていた方の足がとても軽くなっています。
引き込まれて歩いている感じなのです。
たしかに力が垂れ流しになっていないと感じられます。
自分で足を持ち上げる稽古もしました。
これを雑に行うと、大腿四頭筋など表層筋を使ってしまいます。
見た目にはほとんど動きがないように見えるのですが、深層筋を使っていますので、少しの時間で汗ばむのです。
足を引き上げるという感覚であります。
これが垂直の方向なのです。
垂直の方向を感じる稽古も繰り返しました。
これは坐禅で重要な感覚であります。
そして水平は股関節の引き込みだというのです。
股関節の引き込みの水平と、腸腰筋で引き上げる動きの垂直とで姿勢を作るのです。
呼吸をするときにお腹を凹ませたりしますが、単に腹筋で凹ませるのではなく、胸郭の内側に引き上げるような感覚であります。
立ったままでも稽古できますし、更にイスに坐って行いました。
これも新たな発見であります。
座骨で押すのではなく、座骨の前側を意識するようになります。
そして更に正坐して行いました。
イスに坐るのも、正坐もまだ上に体を持ち上げることができるので、引き上げる感覚をつかみやすいものです。
さらに結跏趺坐の姿勢で行うとこれは、かなり感覚を頼りにするようになります。
下腹の奥に細い糸があり、それを微妙な力で上に引き上げるような感覚であります。
そうすると垂直の方向がよりはっきりとします。
そこで気がついたのです。
坐禅は運動だということです。
かつても私は坐禅を動かないようにみえる運動だと思っていましたが、より一層確かになりました。
正坐していてもそうです。
足の上にお尻をベタッと押しつけて力が垂れ流されるのではありません。
たえず引き上げて回収する運動をしています。
そうすると血流も滞ることなく足もしびれにくくなります。
坐禅の指導をするときに、よく「腰を入れて、背筋を伸ばし、アゴを引く」という表現をします。
これが実に問題なのです。
この言葉で手っ取り早く見た目がきれいな姿勢を作ることができます。
しかし、それでは腰や背中が張ってしまいます。
力みや凝りがあると、どうしてもそこに意識がいってしまって深い坐禅の妨げになることがあります。
「腰を立てよう」とすると、胸を張る、腰を反らす、背筋を緊張させることになってしまい、脊柱起立筋ばかりを使うことになります。
腸腰筋は眠ったままです。
坐ると、座骨のやや前側に重心が乗る感じです。
座骨に体を乗せると後ろに重心が行ってしまいます。
胸を張ってしまうと脊柱起立筋が働いてしまいます。
丹田の奥を意識して引き込むようにします。
会陰のあたりをかすかに引き上げる感じです。
そうしますと腰回りの表面はむしろ柔らかくなります。
すると肩が軽く、呼吸が下腹へ入りやすくなり、長く坐ってもしびれず、太腿の付け根には余裕があって、背中を頑張っている感じがしないのです。
坐るときに腸腰筋を使って骨盤が立つと、背骨が下から自然に積み木のように重なる感じがよく分かります。
すると、上半身を無理に支えなくても、重力が骨格を通って床へ流れてゆきます。
力まずにしかも充実した感覚になるのです。
井上さんの仰る『いつでも動ける姿勢』です。
頑張って姿勢を保つのではなく、「余分な力が抜けてしかも崩れずいつでも動ける姿勢」です。
禅語に「天を撐(ささ)え地を拄(ささ)う」という言葉がありますが、これは単なる精神論ではなく、身体構造としても非常に理にかなっていることが分かります。
腸腰筋のはたらきは、その天地を結ぶ中心軸を内側から支えています。
この感覚で歩くと、足の裏でそっと大地に触れる感じになります。
ドスン、ドスンと力を押しつけるのではありません。
一歩一歩、足を引き込むようになります。
軽く、皮一枚でそっと大地に触れている感じになるのです。
坐るにしてもベタッとしないのです。
ふわっとした感覚です。
それでいてどっしりとしています。
そのように坐禅は運動だということをより一層確信できる稽古となりました。
横田南嶺