結制
といってもほとんど普段のお経とは変わらずに、十五日にあげるとき、「月望」というところを、「結制」とするくらいでありました。
従来五月十五日に結制のお経をあげて、八月十五日に解制となっていました。
これが本山の儀式でありました。
もともとは、円覚寺の全体が修行の道場であり、その中にいる僧侶はみな修行をしていました。
結制は結制として外出せずに修行をしていたのだろうと察します。
そんな修行の伝統が崩れてきてしまって、江戸時代の終わり頃に、今の修行道場のある正続院に修行の道場を作ったのでした。
この正続院の中だけで、修行を行っています。
そちらは、また独自の修行で、四月の二十日に入制といって、結制をしていました。
そして八月一日に解制となっていました。
結制は結制安居とも申します。
安居のはじまりを結制や入制というのであります。
安居というのはお釈迦様のころからの伝統であります。
岩波書店の『仏教辞典』には
「安居」とは、「仏教教団で、修行者たちが一定期間一カ所に集団生活し、外出を避けて修行に専念すること、またその期間をいう。」
と書かれています。
「インドでは春から夏にかけて約3カ月続く雨季の間は、外出が不便であり、またこの期間外出すると草木の若芽を踏んだり、昆虫類を殺傷することが多いので、この制度が始まったとされている。」
ということであります。
草木を傷つけないように、昆虫などを殺さないようにという慈悲の心から結制が行われたのでした。
そして更に
「雨季という明確な季節のない中国や日本でも、陰暦4月16日(または5月16日)から3カ月間、安居が行われ、<夏安居><夏行><夏籠り><夏勤め><坐夏><坐臘>、あるいは単に<夏>とよばれた。
安居に入ることを<結夏><結制>とよび、また安居中に経を唱えたり、写経を行うことを<夏経>とよんだ。」
と解説されています。
まさにこの通りなのです。
安居の間には、禅宗では楞厳呪というお経をあげる習慣になっています。
お釈迦様以来の安居の修行に入ることが結制であり、入制なのであります。
昨年から本山の結制を五月十五日であったのを、四月十五日にしました。
そうしますと、今までの僧堂の入制が二十日なのととても近くなります。
そこで今年本山の結制と僧堂の入制をひとつにしてみました。
結制では元来「上堂」が行われます。
上堂というのも『仏教辞典』に丁寧に解説されています。
「古くは<陞座>と同じ。
『祖堂集』8に「師は上堂する毎に示誨して云う」とあるように、住持などが、説法を行う建物である法堂の須弥壇に上り説法すること。」
を言います。
「古くは、不定期に説法は行われたが、次第に公界上堂(定時の上堂)として定期に朝行われ、年分行持の<四節上堂>(結夏)・解夏・冬至・年朝)や月分行持の<五参上堂>(1、5、10、15、20、25の各日)として定着した。」
のであります。
もともとこの上堂がお説法なのであります。
教えを説くのであり、修行の要でもあります。
「説法内容も修行者中心から、皇帝の聖寿を祝祷する(祝聖)などの祈祷中心へと変化がみられるようになった。」
とありますように、もともと不定期に説法なされていたのが、月のうちの一日、五日、十日、十五日、二十日、二十五日となり、さらにその内容も説法ではなく、天皇陛下の聖寿をお祝いする儀式へと変化し、更に一日と十五日のみ、天皇陛下の聖寿を祝ってお経をあげるだけになってしまっているのであります。
もうお説法という、法を説くという概念はなくなっていました。
それで、修行道場で提唱という新たな説法の場が設けられたのであります。
そんな次第で、四月十五日本山の結制と修行道場の入制をひとつにしてみたのでありました。
場所は修行道場で、上堂の代わりに、修行道場の提唱台に登って法語を唱えるということにしました。
なにぶんにもこの世界は伝統を重んじるので、新しいことをするのにはとても抵抗があるのです。
もっとも私としては新しいことをするのではなく、古い昔のことをするつもりなのですが、今と違ったことを嫌いますので、抵抗が少ないように佛殿の上堂は避けて、僧堂の提唱の形を取りました。
内容は上堂の法語としました。
はじめに七言絶句を唱えて、そのあと臨済録の一節を取り上げて拈弄してみたのでした。
「上堂。云く、
「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」。
時に僧あり、出て問う、「如何なるか是れ無位の真人」。
師禅床を下がって把住して云く、「道え道え」。
その僧擬議す。師托開して、「無位の真人是れ什麼の乾屎屎ぞ」と云って便ち方丈に帰る。」
というところです。
岩波文庫の『臨済録』にある現代語訳を見ますと
「この肉体に無位の真人がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている。まだこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ!見よ!
その時、一人の僧が進み出て問うた、「その無位の真人とは、いったい何者ですか。」師は席を下りて、僧の胸倉をつかまえて言った、「さあ言え! さあ言え!」その僧はもたついた。師は僧を突き放して、「なんと(見事な)カチカチの糞の棒だ!」と言うと、そのまま居間に帰った」
というのであります。
「その僧擬議す」というところを、岩波文庫では、「その僧はもたついた」となっていますが、「擬」は、「欲」の意味の口語で、「~しようとする」という意味で「僧が何か言おうとしたところをすかさず」と訳するのがよろしいかと思います。
小川隆先生に教わったことであります。
今回は上堂法語として務めましたので、このような現代語訳や解説は一切しませんでした。
すべて漢文の訓読のみで行いました。
更に、この臨済の説法が風無きに波を起こすこととなり、定上座と巌頭雪峰欽山三人の問答を紹介しました。
それに対して更に私が自分自身の見解を述べて、最後に著語を置いて終えたのでした。
上堂の終わりは「久立珍重」としました。
ながらく立っていてご苦労様でしたという意味です。
中には、最後のこの言葉に気がついて、立って聞かなくてよかったのですかと言ってくださる方もいました。
感想はさまざまです。
すべて漢文の訓読のみでしたので、もう少し解説してもらわないと何を言っているのか分からないという率直な感想もあります。
いにしえの本山上堂の法語に接して感激したという声もありました。
これまた風無きに波を起こすだけかもしれません。
本山の上堂を復活しようという声でもあがってくれればと淡い期待を持っています。
横田南嶺