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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.04.20
今日の言葉

十年の学び

湯島の麟祥院さまを会場にして臨済録の勉強会を始めたのが、二〇一五年の四月でしたので、もう十年になります。

十年毎月麟祥院に足を運んで勉強会を続けてきたのでした。

龍雲寺の細川晋輔さんのご紹介で、駒澤大学の小川隆先生を講師にお願いして始まりました。

はじめのうちは、中国語の補語の用法などを丁寧に教わったのでした。

いつになったら臨済録に入るのだろうかと思ったほどでした。

しかし、語録を読むには、この中国語をきちんと学んでおくことは必要なのであります。

コロナ禍もあって、しばらく休会やオンラインで勉強していた頃もありました。

その後に、小川先生のご講義は大慧禅師の『宗門武庫』についてとなりました。

そこでやむなく私が臨済録を講義させてもらっています。

この会は一般の方の為でなく、和尚さんたちのためのものであります。

それだけに参加者は多くはないのですが、それでも皆さん熱心に学び続けてくださって今日まで続けてこられました。

私なども今や小川先生のご講義を聴くのが楽しみとなっています。

先日も宗門武庫のご講義を拝聴していました。

今回のところは、三回に分けてご講義くださいました。

一月と三月とそしてこの四月と三回で一段がようやく終わりました。

二月は張超先生のご講義とさせてもらったのでした。

今回は、圓照禅師こと慧林宗本の法嗣であった修顒禅師と、宰相まで務めた富弼の話であります。

それに司馬温光が加わります。

富弼が宰相の位を退いて洛陽に住んでいました。

修顒禅師について更に教えを受けたいと思って、禅師を洛陽招提寺の住持に招きました。

富弼は、修顒禅師が、お越しになってその国ざかいに入ったことの知らせを受けました。

すると富弼は自ら迎えに出ることにしました。

これが何でもないように見えますが、この時代は官寺の場合、国が住持を任命していたのでした。

お役人の地位は高いのです。

まして富弼は、宰相まで務めた方であります。

寺の前で迎えるだけでもたいへんなことであります。

それを国ざかいまで迎えるにでるというのです。

小川先生は分かりやすく、たとえば私が誰かをお迎えする場合、北鎌倉の駅まで迎えるにでることもありますが、更に東京駅や成田空港までお迎えにゆくようなものだと表現されました。

そう言われると、これがどれほどの厚遇なのかが分かります。

そうして国ざかいまで行こうと車に乗ろうとしたら、たまたま司馬温公に会いました。

司馬温光からどこに行くのですかと問われて、修顒禅師をお迎えにゆくと答えます。

司馬温光はそれでは自分も一緒に行こうと言います。

二人は馬を並べて洛陽の城外に出て、一つさきの宿場まで行きました。

そこで長らく待っていました。

今のように電話もない時代ですから、あらかじめ出向いて待つしかなかったのでしょう。

すると、目の前を、人足のかつぐ数十の荷物が通り過ぎてゆきました。

司馬温光は、誰の荷かと聞きました。

人足は今度新しく招提寺にお入りになる和尚さまの荷物ですと答えます。

それを聞くと司馬温光は「馬ひけ」と命じ、もう帰ると言いました。

富弼がこれから禅師をお迎えするのになぜ帰るのかと問いました。

司馬温光は「いや、私はもうお会い申した」といって帰ってしまったという話でした。

仏道は清貧枯淡を尊びます。

もともと出家は、四依といって

「出家修行者の修行生活の依り所」がありました。

それは

托鉢によって得た食物で暮らすこと、

糞掃衣を着ること、

住まいとして樹下の坐臥所で暮らすこと、

陳棄薬(ちんきやく)のみを用いること。

というのです。

陳棄薬というのは、牛の尿から作った安価な薬と言われます。

もっともお釈迦様は、山林に住んでもいいし、村に住んでもよいとしました。

また乞食して暮らしていいし、食を供養してもらうことも許されました。

糞掃衣を着てもいいし、衣の供養を受けてもいいとしました。

四依を説きながらも、四依にもあまり固執してはいなかったのでした。

ともあれ、清貧枯淡を旨とする禅僧にそんな山のような所有物があるとは、会うにも及ばぬ俗物だという見解でありましょう。

参考資料として小川先生は、一月に円覚寺で行われた鎌倉禅研究会の資料の一部を示してくださいました。

一つは福厳の感禅師の話でした。

感禅師は寺に住しても常に風呂敷包みと杖一本という、実にわずかな荷物で暮らしていました。

いつでも行脚に出られるようにしていたのでしょう。

時の太守が新しく赴任して、感禅師に「新たに車を下り事を以て之に臨む」とありますが、なにか圧力をかけてきたのでした。

すると感禅師は一偈を役所に残して飄然と寺を去ったという話であります。

その話を聞いて追いかけたけれどももう川を渡ったあとで手遅れだったというのです。

禅僧としての面目躍如たる話であります。

ジョン・マクレー先生の『虚構ゆえの真実―新中国禅宗史』にある言葉も紹介してくださいました。

「世俗的な成功は、元来の仏教精神の喪失を意味する。

人間的な贅沢の完全な拒絶とはいわぬまでも、少なくともそれと距離を置くという精神が、仏教にはある。

だから、僧侶が世俗的な成功を収めることは、そうした精神の喪失を意味するのである」

という言葉です。

こういう言葉を聞きながら、今お寺は檀家が減って経済的にも立ちゆかなくなっているとよく言われるのですが、仏道を実践する上では、これはむしと好機というべきだと思いました。

逆にお寺が経済的に潤う方が仏法の危機となります。

さて、禅僧は清貧枯淡を旨とすべきはいうまでもありません。

しかしこの清貧枯淡を誇り、財を持つものを見下すような見解を持つのはいささか問題があると感じます。

それならば、財を持ちながらも、財を持つことを恥じながら謙虚に生きる方がよいようにも思います。

財に溺れないことも難しいのですが、枯淡を誇らないのも難しいと思うのです。

とかく人間は執着しがちであり、自分を誇りたがるものだと自覚しておくことでありましょう。

小川先生のご講義のあとは私が一時間ほど臨済録について話をしました。

講義をしながら、こうして十年学ばせていただいたおかげでいろいろ勉強になったと有り難く感謝したのでした。

 
横田南嶺

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