ハワイから帰る
二月の二十一日に日本を出て、二十五日の夕刻に帰国しました。
移動の時間が長いので、実際にマウイに滞在していたのは、二日半ほどになります。
五日間の日程をとるにも、この頃は苦労するようになりました。
一昨年、羽賀浩泉さんがハワイに行かれて、その頃に是非一度開教師として赴任している間に行きましょうと言いながら、この頃は一年先まで予定がかなり入っていますので、一昨年から予定を調整しても昨年はほぼ予定が詰まっていて、ようやく今年の二月に五日間を確保できたのでした。
日本でこんな暮らしをしていると、ハワイのゆったりとした時間はうらやましくも思います。
帰ってきてよく聞かれるのが「時差ボケ」はありませんかということです。
「時差ボケ」とは『広辞苑』にも「時差のため生理的リズムがずれて体調が狂うこと」と解説されています。
以前にパリに行ったときもよく聞かれましたが、有り難いことにほとんど感じることはないのです。
「もともとぼけていますので、これ以上はぼけないのです」と答えたりしています。
たしかに禅の修行はばかになること、ぼけることが大事なのです。
それから、これについてはやはり禅の修行をしてきてよかったと思います。
時差というのは比べるから起きるのでしょう。
本当はまだ夜なのに、昼になってしまっていると、比べるからそこに「差」が生まれます。
禅の本領は「前後際断」です。
過去も未来も断ち切って今になりきる修行です。
日本についたのが、昼ならば、全身まるごと昼になるのです。
まだ本当は夜なのにとかは一切考えないのです。
朝なら朝と、全身全霊、世界まるごとが朝なのです。
昼ならば、全身全霊昼ですし、世界まるごと昼なのです。
その時になりきってそれ以外のものは断ち切ってしまうのです。
それから臘八の摂心というのを毎年行っていますと、朝だか夜だか分からないように混沌とした状態になります。
そのときも朝なら朝だと思えば世界は朝なのです。
そんなことをしていますので、もともとぼけているからと、その時になりきる修行のおかげでそんなに時差ボケは感じないのです。
初日の夕方日本を出て、ハワイのオアフ島に着いたのが、その日の朝という時間が逆に戻ってしまって、これなどは頭で理解しようとするとこんがらがりますが、もう朝なら、朝だと思って生きるだけでした。
それにしてもその時の消えた時間が、帰りに取り戻されるのです。
二十四日の朝早くマウイの寺を出て、ホノルルをお昼頃に出ます。
二十四日のお昼に出て、羽田に着くのが、二十五日の夕方なのです。
フライトの時間は帰りは時間がかかって約十時間なのです。
ですから単純に考えると、二十四日のお昼に出発するのなら、二十四日の夜十時頃に着くのでしょう。
それが、実際には二十五日の夕方五時頃なのです。
これも頭で考えると、こんがらがりますが、もう日本についたら二十五日の夕方なので、夕方だと全身全霊夕方になるのです。
ただフライトの間は寝ないようにだけ注意しました。
フライトの間寝てしまうと、夕方日本に着いて帰国の手続きなどをして寺に戻るのは夜になるので、夜寝られなくなると思ったからです。
さすがに夜寝られないというのは体にこたえます。
その程度の調整をしただけで、夜はお寺でぐっすりと睡ることができました。
それとイス坐禅の要領で腰を立てていましたので、十時間のフライトでも全く腰の負担がありませんでした。
羽田に着いても足が軽いのです。
翌朝は三時に、波の音で目が覚めました。
まだハワイかと勘違いしましたが、波の音ではなく、風の音でした。
今回のハワイで感じたことの一番は羽賀浩泉さんの素晴らしさであります。
現地に行ってもう1年半ほどになりますが、はじめは苦労したようですが、毎朝の坐禅会やお寺の催しには多くの方が集まってくれています。
現地の方々にも「せんさん」「せん」といって、とても親しまれています。
皆で食事をしている間でも、見ていると泉さんは、自分で食事はせずに、参加された方皆に声をかけて談笑しておられます。
このコミュニケーションの力には感服させられます。
みんなのためにという思いが体全体からあふれているのです。
それほどまで泉さんは、みんなに慕われています。
泉さんのおかげで救われたという言葉を何名もの方から聞きました。
それでなんと、私が泉さんの「ティーチャー」だというので、私まで尊敬されるという始末です。
これは穴があったら入りたい思いでした。
泉さんはもともと立派なのです。
私はなにも教えていないのです。
私の教育方針は「教えない」ことです。
泉さんは自ら努力してこられたのです。
何度か檀家や信者さんたちと会食したのですが、そのたびに泉さんは必ず食事五観文を唱えています。
まずは英語でみんなで唱和します。
Five reflections chant
1.Reflect on how this food has come to your table.
2.Be mindful of your deeds as you partake in this meal.
3.Avoid being picky and accept what is in front of you.
4.Appreciate this meal that sustains the health of both body and mind.
5.Take this gift of life to pursue your path and benefit the world.
それから
日本語の五観文を唱えます。
これは泉さんが一人で唱えて皆さんは手を合わせて瞑目して聞いています。
一つには、功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二つには、己が徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず。
三つには、 心を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。
四つには、正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五つには、道行を成ぜんが為にまさにこの食(じき)を受くべし。
そうして皆でいただくのです。
必ずこれを行っていますので、これだけでも大きな布教であります。
それから坐禅のあとには四弘誓願を英語で唱和しているのも素晴らしいと感じました。
FOUR INFINITE VOWS
All beings without limit I vow to carry over;
Kleshas without cease I vow to cut off;
Dharma gates without measure I vow to master;
Buddha’s Way without end I vow to fulfill.
みんなで三回唱えています。
初めてマウイ島に来たときには、海辺の亀などを見ながら、風光明媚な景色に触れて、こんな明るくきれいなところでゆったりとして暮らしていれば、禅など必要ないではないかと思いました。
しかしながらいろいろお話を伺うと、やはり人はどこにあっても生きることは苦なのです。
明るく振る舞う方々ですが、はじめは沖縄か移民されて、とても苦労されたのでした。
おそらく帰りたいという思いもあったと察しますが、簡単に戻れるわけでもありません。
お互いに歯を食いしばって堪えてこられたのだと思います。
そんな時にお寺がみんなの支えになったのでしょう。
ボンダンスといって、盆踊りが盛大に行われるということも、みんなが力を合わせて生きる原動力になったのだと思います。
今の時代になっても今の時代の苦悩があるのだと感じました。
多くの方からは新しい政権に変わっての不安を感じるという声を聞きました。
生きることはやはり苦しみに耐えることなのです。
そんな中、お寺が心のよりどころになっているのです。
とくにマウイ開教院に於いては羽賀浩泉さんがみなさんのよりどころになっていると感じました。
ハワイの皆さんからはたくさんのお土産をいただきました。
明るく親切でとてもゆったりとして生きるマウイの皆さんには大いに学ばされました。
明るく親切、そしてゆったりと生きたいものですが、日本に帰るとゆったりとはいかない日々が始まります。
横田南嶺