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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.09.13
今日の言葉

忍ということ

仏教の修行というとさまざまございます。

主に初期の仏教では、瞑想の修行が中心でありました。

大乗仏教になると、六波羅蜜が重視されるようになりました。

六波羅蜜は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つです。

一番目は布施、施しです。何かを施してあげることです。

物を施すだけでなく、言葉をかけてあげることも施しであり、笑顔をふり向けることも施しです。

二番目は、持戒で、良い習慣を保つことです。

三番目は、忍辱で、堪え忍ぶことです。

どんな辛いと思っても一時の事だと冷静に今の状況を受け入れることです。

四番目が、精進で、怠らずに努め励むことです。

五番目が、禅定で、心を静かに調えることです。

六番目が、智慧で、正しくものを観ることです。

布施、施すことが第一番になっていることも特徴的であります。

人に何かを施すことが大切なのです。

常にその気持ちを持っていることです。

それから次が持戒という、仏教の修行の一番根柢となるものです。

その次には忍辱があるのです。

忍辱という耐え忍ぶことが修行なのです。

岩波書店の『仏教辞典』には「忍辱」とは、

「堪忍すること、耐え忍ぶこと。

大乗の菩薩の修行徳目である六波羅蜜の一つ。

あらゆる侮辱や迫害に耐え忍んで怒りの心をおこさないことで、これを修行実践することによって、すべての外からの障害から身を保護することができるので、「忍辱の衣」「忍辱の鎧」〔法華経法師品、勧持品〕といわれる。」

また仏の前生の修行時代に、忍辱を修行して<忍辱仙人>と称されたという本生譚はよく知られている。」

と解説されています。

お釈迦様のご遺言と言われる『遺教経』には、

「忍の徳たるや、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。」という言葉があります。

戒律をかたく守ることや、体を痛めて苦行をすることも、理不尽なことがあろうがどんなことがあろうが耐え忍ぶという修行には及ばないという意味です。

それほどに耐え忍ぶということは大事な修行なのです。

先日修行道場で森信三先生の『修身教授録』の輪読勉強会を行っていました。

森先生の御高弟である寺田一清先生に教えていただいた方法で今も読書会を継続しています。

まずはじめに皆で瞑目静坐して、それから各自ひとりずつ『修身教授録』の一段落を声に出して読みます。

一章を読み終えたら、各自がひとりずつ、どの言葉に感動したか、どんな感想をもったかを発表します。

そして最後に私が講評をして終わります。

一時間程度で終わるものです。

この頃は『修身教授録』の中のどの章を学ぶか、修行僧が順番に選ぶことにしています。

先日は第十八講「忍耐」でありました。

私なども何度も読んでいるところですが、皆で声に出して読んでいると、一層味わいが深まります。

これが一人で読むのと違った有り難いところなのです。

はじめに森先生が、

「「忍耐」というようなことについては、諸君はこれまでに何度となく聞いたことがありましょう。

(先生、セキ払いをされながら黒板の他の部分を消しつづけられる)したがって今ここに、私が「忍耐」という題目を書いても、諸君らにはあまりパッとした印象を与えないかも知れません。

しかし、諸君らにして、ひとたび自分を顧みて「自分は忍耐ということについて、これまで果たしてどの程度守れたか」と反省してみられたら、この忍耐という徳目一つさえ、決して卒業できていないことが分かるだろうと思います。」

と説かれています。

森先生ご自身も「私も、この忍耐という徳一つさえ、卒業しているとは永久に言えないわけです。」と仰せになっています。

それから忍耐について二つの方面があると示してくださっています。

「すなわち一つには、感情を露骨に現さないようにする、とくに怒りの情を表さないように努めるという方面と、今一つは、苦しみのために打ちひしがれないで、いかに永い歳月がかかろうとも、一たん立てた目的は、どうしても、これを実現せずんば巳まぬという方面とです。」

ということなのです。

十善戒の中に、不瞋恚という戒がありますが、それを「不都合なるをよく耐え忍び、怒りをあらわにせず」と訳して読んでいますが、これが第一の方面です。

もう一つは更に積極的に、自らの目標に向けて必ず成し遂げるということなのです。

森先生は「前のを堪忍と言い、後の方を隠忍と呼んでもよいでしょう」と示されます。

そして「ではそのような忍とはそもそもいかなることかというに、結局それは己に打ち克つということでしょう」と端的に示してくださっています。

己に打ち克つとは、わがままな欲望などに克つことです。

そして「この怒りの情に克つ人は、心の広やかな人と言ってもよいでしょう。

すなわち怒りの情をわが心の内に溶かし込むだけの、深さと広さとがなければ、できることではないからです。」

と説かれています。

広い心をもってわがままな欲望に打ち克つのです。

これが堪忍の方なのです。

隠忍の方はというと、「隠忍とは、いかに辛くとも投げ出さないで、じっと持ちつづけていくことを言うのです。」というのが森先生の教えです。

「もうやり切れなくなったと思っても、さらにもう一息頑張るのです。 しかもその頑張りを、外に現さないようにするわけです」ということなのです。

更に具体的に忍辱の実践について詳しく示してくださっています。

「忍耐の実行上の工夫としては、つねに「ここだ!!! ここだ!!!」という意識がなければできることではないのです。

つまり怒りの情を爆発させて、たとえば弟妹などに対して怒りの言葉を、遠慮会釈もなく言い散らしておいて、後になってから「アッ、しまった」というのでは遠く遅いのです。

最初の一語が、うっかり飛び出したその刹那に「そうそう!!!! ここだ!!! ここだ!!!」という、反省の閃きが現れるようでなければだめなんです。」

ということです。

自らの怒りの感情に巻き込まれずに、感情が起る様子に気がついていないといけません。

次に忍耐の実践について三つに分けて説かれています。

「最もいけないのは、口汚く叱りながら、後になっても、一向悪かったと思わない人間でしょう。

次は事がすんでしまってから、「アアまで言わなくてもよかったのに」と後悔する人間。

その次は、怒りの言葉が出そうになったその瞬間「アッここだ!!! ここだ!!!」と喰い止める人間」

という三つであります。

そうして最後に忍耐の工夫によって到達すべき理想を示してくださっています。

石田梅岩の『心学全集』にある話です。

「ある一人のお弟子がもっともお弟子と言ってもなかなか偉い人ですが、梅岩先生に「忍ということの極致はどういうものでしょうか」とお尋ねしたところ、梅岩先生答えて曰く「忍は忍なきに至ってよしとす」と言うておられます。

すなわち忍耐の理想は「やれ我慢する」の「やれ忍耐する」のという意識がなくなって、それが何でもない、至極当たり前となるのが理想だと言われるわけです。」
ということです。

耐え忍ぶということがすっかり身について耐え忍んでいるという意識もないほど自然になっているということです。

こういう理想を示しておいて、その理想に向かって努力するのであります。

森先生は、「われわれ人間は、一足飛びに二階へは上がれないように、結局は一つ一つ階段を登っていく外ないでしょう。

そして最も大事な点は、現在自分の立っている段階は、全体の上から見て、おおよそ何段目くらいかということを、はっきり自分で承知しているということでしょう。」

と最後に説かれています。

自分など、忍辱の修行はまだまだとはっきり自覚して修行しないといけないのであります。

森先生の「忍耐」についての深いご高察から、「忍辱」の大切さを改めて学びました。

 
横田南嶺

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