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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.08.29
今日の言葉

驚きの講座 – 甲野陽紀先生に教わる –

あっと驚くということがありますが、実にそんな講座でありました。

しかも三時間、その驚きの連続でありました。

甲野善紀先生とのご縁で、そのご子息である甲野陽紀先生にお越しいただいて講座を行ってもらったのでした。

甲野善紀先生とお話した折に、そのご子息のことをとても褒めていらっしゃったのが印象的でした。

これほどの方が、そこまで褒められる方はいったいどんな方なのだろうととても興味を覚えたのでした。

そのご著書を読んでみても、独自の感性をお持ちの方だということが分りましたので、是非とも一度実際に教わってみようと思ったのでした。

まだ残暑厳しい日に、円覚寺にお越しいただいて講座を行っていただきました。

甲野陽紀先生がどんなお方かというと、そのご著書『身体は「わたし」を映す間鏡である』の著者略歴には次のように書かれています。

引用しますと、

「1986年、 東京都生まれ。

身体技法研究者。

武術研究者・甲野善紀氏の武術指導のアシスタント、演劇制作スタッフなどを経験した後、独立。

誰もができる日常動作の身体の動きをモチーフに、特定の分野や流儀、流派にとらわれない立場で身体技法の研究を始める。

達人や名人と呼ばれるほどの技量を持つ武術家や職人などの技を観察・分析する研究を基盤に、さまざまに変化する身体の動きを、注意の向け方や言葉の使い方などとの関係から読み解き、そのエッセンスを日常に役立つ技法として提案している。

その斬新なアプローチは、スポーツや介護、 楽器奏法、 教育関連など、さまざまな分野への応用が可能であることから、多くの専門家からも注目されている。

活動は幅広く、朝日カルチャーセンター新宿・横浜・湘南・千葉、 よみうりカルチャー自由が丘、 ヨークカルチャーセンター長野などで定期講座の講師を務めるほか、 全国各地の企業や団体からの招聘に随時応じて講座や指導にあたり、 定期的に主宰講座も展開している。」

と書かれています。

この本は、二〇一八年の発行なので、その当時のものです。

お話をうかがうと、コロナ禍の間は、さまざまな講座が開催できなくなってご苦労なされたとのことでした。

今は再開されたものもあり、そのまま終わったものもあるとのことでした。

そこで今はご自身で主催される講座にも力を入れておられるそうです。

「略歴」に「さまざまに変化する身体の動きを、注意の向け方や言葉の使い方などとの関係から読み解き」とありますように、今回もこの注意の向け方や言葉の使い方で体がどう変わるのかを実際に教わったのでした。

まずはじめに甲野先生はホワイトボードに、「一動作一注意」と書かれました。

これはどういうことかというと、『身体は「わたし」を映す間鏡である』には、

「「一動作一注意」とは、「ある動きをするときには一つのことに注意を向けることが大切」という意味です。

たとえば「立つ」という動作でも、指先なら指先という一つに注意を向けて立つ場合と、いくつものことへ注意を向けて立つ場合では、明らかに身体の安定感が変わってきます。」

と書かれています。

文章を読んだだけでは実感がないのですが、実際に行ってみると、驚くほどの違いなのです。

まずこの「指先」といっても人によって場所が変わるのだそうです。

指の先端部分を思う人もいれば、もう少し指の腹の方を思う人もいます。

そこで両手の指先と指先を合わせてと言われて、なにも考えずにパッと合わせたところが、その人にとっての指先なのです。

さて、この指先と指先を軽く触れさせて立っていると、なんと横から押しても微動だにしないのです。

参加者はそれぞれ二人一組になって実験したのですが、これが実に「あっと驚く」ほどの違いが明確に分るのです。

ところが、同じ指先でも少しずらすと、途端に不安定な体になって、横から押すともろくも崩れてしまうのです。

今度は指先を合わさずに、指先だけに注意を向けるのです。

手はどんな形でもどこに置いてもかまわないのですが、指先にだけ注意を向けていると、同じように体は安定して、横から全体重をかけて押しても微動だにしないのです。

それほどに微細なのです。

また同じように指先と指先を合わせていても、今日の晩ご飯は何かななどと考えると体は途端に崩れます。

これが一動作一注意ということなのです。

注意を向ける先を明確にしないと効果がありません。

足の指先でも同じなのです。

腰の場合が難しいのです。

腰というと、どこなのか、私たちは、漠然とある範囲をとらえています。

そんな大まかなものではなく、腰の場合は、大転子に注意を向けるのです。

大転子というのは、股関節の横あたりにある少し出っ張った骨のことです。

太ももの付け根あたりです。

骨盤の下あたり、太ももの外側を押したときに触れるところです。

ここに注意を向けて、中腰になってみると、横から押しても微動だにしなくなります。

それでは、大転子に注意を向けて、更に指先と指先を合わせて中腰になってみると、効果倍増かと思いきや、なんと実にもろくなってしまい、押されるとぐらぐらになるのです。

やはり「一動作一注意」が基本だということでした。

大転子に注意を向けると、横から押されても動かないのですが、前から引っ張られると弱いのです。

そこで、臂の裏がわに注意を向けると、安定するのです。

臂裏に注意を向けると前後に強いのです。

このように甲野先生は、体の安定ということで、末端に注目されたのでした。

安定させるというと、私などは、足の裏とか、丹田を意識するのですが、末端に注意を向けるのです。

他にも足の裏ではどこに注意を向けるのかも教わりました。

これは甲野先生も最近になって気づかれたことなのだそうです。

この位置というのは、私も全く意識したことのない場所でありました。

単に漠然と踵というのではないのです。

講座が終わった後に修行僧に感想を聞くと、意識をするだけでこんなに体が変わるだのと驚きましたと言っていました。

ところが、これが間違いなのです。

甲野先生は「注意を向ける」と言って、決して「意識を向ける」とは言われていないのです。

ご著書『身体は「わたし」を映す間鏡である』には、

「私は動きやすさを得るために、「一つに注意を向ける」という表現を使っている。

しかし、「注意を向ける」という言葉はいつの間にか、「意識をする」という言葉に変換されてしまう場合が多くある。」

と書かれていますように、意識をするように変わっているのです。

しかし甲野先生は、

「しかし、「注意を向ける」と「意識をする」という言葉は似ているようにも思えるが、この二つには明確な違いがある。

あくまで私のとらえ方だが、「注意を向ける」は、身体の動きを滑らかに優位にするカラダ言葉。

「意識をする」は、計画を立てたり考えをめぐらすためのアタマ言葉だとは考えられないだろうか。」

というのです。

甲野先生は、

「「注意」は安定し、 「意識」は不安定になる。

不思議なことに、身体はこの違いを正確にとらえているのだ。」

と説かれています。

ともあれ、かくして三時間の講座は実にあっという間であり、その間は驚きの連続でありました。

坐禅の時、庭の草を取るときには、どこに注意を向けるとよいのか、いろいろ教わりました。

楽しく学べて、しかもその効果を実感できるので、有り難い講座でした。

講座には藤田一照さんもお越しくださって、修行僧達と共に学んだのでした。

有り難いご縁の講座でありました。

 
横田南嶺

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