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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.08.22
今日の言葉

禅僧と鎮魂

禅の修行というのは、坐禅をして「無」になるものです。

無心に徹するのであります。

その無心から自由自在のはたらきが出てくるのであります。

悟りを求めるという意図すら禅では嫌うのであります。

そんな修行をしている禅僧に、鎮魂というはたらきがあると思われているのは不思議であります。

古くは亀山上皇の離宮禅林寺殿にしばしば妖怪が出て困っていたという話があります。

正応年間(一二八八~一二九二)のことです。

亀山上皇は当時名高い叡尊律師に祈祷をお願いしたのですが、あまり効果がありませんでした。

それで東福寺開山・聖一国師円爾弁円の弟子の無関普門禅師(一二一二~一二九一)にお願いします。

無関普門禅師は、弟子たちを連れていって、そこでただいつものように坐禅修行していました。

それで妖怪は現れなくなったというのであります。

そうして亀山上皇は離宮を禅刹に改め、無関普門禅師を開山として南禅寺を開いたという話であります。

また博多祇園山笠という有名なお祭りがあります。

毎年七月に盛大に開催されています。

これのはじまりには諸説あるようですが、東福寺の開山円爾弁円禅師が関わっているとされています。

鎌倉時代の一二四一年(仁治二年)に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖で当時の住職である聖一国師(円爾弁円)が、施餓鬼棚に乗って水を撒きながら町を清めて疫病退散を祈祷したのがはじまりだという説があります。

後鳥羽上皇の鎮魂の話もあります。

後鳥羽上皇は承久の乱で隠岐に流され、この地で悲憤のうちにお亡くなりになったのです。

その死後、怨霊となり様々な災いをなしたと言われます。

鎮魂のために、後鳥羽上皇の離宮のあった水無瀬の地に寺を建て、開山に法燈国師(無本覚心)を迎えたという話もあります。

またこの頃、興国寺の周辺では妖魔(天狗) が出現したと言います。

この妖魔というのは、魔道に堕ちた後鳥羽院だというのです。

法燈国師は文永元年(一二六四) これを鎮めるため法会を修し、ここに魔界を転じて護法の善神に変え、門派の繁栄を約束させたという話もあります。

室町時代になると、禅僧による施餓鬼会がよく行われていました。

花園大学の『禅学研究』七七号に載せる「五山禅林の仏事法会と中世社会ー鎮魂・施餓鬼・祈濤を中心にー」という原田正俊先生の研究を参考にさせてもらいます。

明徳二年(一三九一)山名氏清・満幸は室町幕府に対し反乱を起こし、明徳の乱が勃発しました。

乱の後、敵味方の怨霊の満ちる場となった地で足利義満は、元弘建武の内乱後、夢窓疎石のすすめで足利尊氏が内乱期の死没者の鎮魂を行った先例を踏まえ、仏事を営むことにしました。

五山の僧によって大施餓鬼が行われたのでした。

原田先生は、「まさに千人の五山僧による大規模な施餓鬼による敵味方の鎮魂仏事こそ室町幕府の政権の安定のためにも重要な儀式であった」と書かれています。

応永六年(一三九九)、足利義満の挑発により大内義弘が反旗を翻し応永の乱が起こりました。

原田先生の論文には、

「戦乱は鎌倉府を巻き込み関東での戦闘も起こり、幕府の勝利のうちに乱は終息する。

鎌倉では応永の乱の戦没者の鎮魂のため新居閻魔堂(円応寺)で施餓鬼が修され、建長寺派の(会下ケ谷)海蔵寺の僧衆によって営まれ、毎年七月十六日鎌倉公方の聴聞する年中行事となっていた。」

と書かれています。

ほかにも応永二四年(一四一七)足利義持は、上杉禅秀の乱戦没者のために相国寺にて施餓鬼会を行わせています。

応永二九年(一四二二)には幕府は、五条河原で、その前の年以来の飢饉疫病死者の施餓鬼会を五山僧衆に行わせています。

寛正二年(一四六一)にも幕府は、大飢饉後の施餓鬼会を五山僧に行わせています。

その内容を見てみると、三月二十九日、建仁寺によって五条橋で、四月十日は相国寺が等持寺・真如寺を率い四条橋、同十二日は東福寺が四条橋、同十七日は万寿寺が五条橋、同二十日南禅寺 四条橋、同二十二日、天龍寺が臨川寺・宝幢寺とともに渡月橋で施餓鬼(水陸会)を行っています。

天文五年(一五三六)足利義晴が、五山僧衆に命じ、天文法華の乱戦没者のために清水寺で施餓鬼会を行っています。

そんな伝統もあって、享保一七年(一七三二)、江戸で大飢饉とコレラの流行があり八代将軍徳川吉宗は、大川(今の隅田川)端で川施餓鬼を催しました。

その翌年に川施餓鬼と共に水神祭を催して、花火を打ち上げたのが隅田川花火の起こりだとも言われています。

八月十六日は、円覚寺の本山の施餓鬼会でありました。

その夕方には、同帰墓地で修行途中で亡くなった僧達の為に屋外で施餓鬼を行いました。

もっとも鎮魂の為に修行しているわけではないのですが、施餓鬼などのお勤めも大事なことなのであります。

黄檗禅師の『伝心法要』に、

「問い、「仏とはどういうものですか。」

答え、「心こそが仏であり、無心が道である。

思念を起こして有無や長短や彼我や主体客体といったような分別を働かせる心をなくすることだ。

心は本来仏であり、仏は本来心である。

そしてその心は虚空のようなものだ。だから『仏の真の法身は、あたかも虚空と同じだ』といわれる。」

と説かれていますように、禅の修行は無心なのです。

無心に坐禅し、無心に読経することによって、結果的に鎮魂となっているのでしょう。

無心の功徳は偉大なるものです。

 
横田南嶺

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