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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.06.17
今日の言葉

いのちを拝む講演会

本日は、新潟の十日町で講演を致します。

これは、あんしん二十一周年記念事業特別講演会であります。

NPO法人支援センターあんしんの樋口夫妻とのご縁は、神渡良平先生の『いのちを拝む』に序文を書いたのがはじまりでありました。

『いのちを拝む』については、昨年六月二十二日の管長日記で紹介しています。

この本に序文を書き、管長日記でも紹介したことがご縁になって、樋口夫妻が、神渡先生と共に円覚寺に来て下さったのでした。

それは昨年七月二十三日のことでした。

この樋口夫妻とご家族がお越しくださったことについても、昨年七月二十八日の管長日記で書いています。

その一部を紹介します。

「先日作家の神渡良平先生と、神渡先生の新著『いのちを拝む』で取り上げられた、NPO法人支援センターあんしんの樋口夫妻とそのご家族の皆さんがお越しくださいました。

『いのちを拝む』は以前にも紹介したことがあります。

神渡先生が、NPO法人支援センターあんしんの樋口夫妻の物語を長年取材して書かれたものです。

樋口さんご夫婦は三人の娘に恵まれたのでしたが、その三番目の娘さんが知的しょう害を発症してしまったのです。

保育園に入る年齢になっても受け入れてくれるところが見つからなかったそうなのです。

ようやく入った保育園でも一月もしないうちに、「この子の面倒はみられません」と断られてしまったのでした。

母親の春代さんはこの先、三女はどうなるのだろうと不安がいっぱいになったのでした。

春代さんは、「私とこの子がいなければ、後のみんなが幸せになれる。二人で信濃川に飛び込みたい」とまで思い詰めたそうなのです。

そこから幾多の苦難を経て、樋口さんご夫婦はNPO法人を立ち上げたのでした。

あんしんの理念は「障がい者にすべての人が持つ通常の生活を送る権利を可能な限り保障することを基本理念にして障がい者のあらゆる行動を支援します。」

というものです。」

と書いています。

私などにもとても想像できないような悩みや苦しみ、葛藤を乗り越えて、樋口さんのご家族はとても明るいのでした。

その折に、新潟に講演に来て欲しいと頼まれて、私もこの樋口さんや支援センターの皆様の為になら是非とも思って、その場で承諾したのでした。

かくして本日午後から新潟で講演なのであります。

しかしながら、昨年お約束した時には、神渡先生もお越しくださるという話だったのですが、なんと神渡先生は、今年の五月一日にお亡くなりになってしまったのでした。

本日は神渡先生追悼の気持ちで講演をさせてもらいます。

『いのちを拝む』の終わりに、神渡先生は次のように書かれています。

少し長いのですが、神渡先生の思いがこもっていますので、引用させてもらいます。

「〝いのち〟ほど神聖なものはない」という題です。

「〝いのち〟はどこから来るのでしょうか?」

とまず神渡先生は問いかけます。

ここでしばし、お互いのこのいのちはどこから来たのだろうか考えてみたいのです。

親からいただいたいのちです。

そしてそのまた親から受け継いだいのちです。

どこまでさかのぼることができるのでしょうか。

神渡先生は、

「〝いのち〟は宇宙からやってきます。

つまり人智を超えたところからやってきます。」

と説かれています。

そして更に、

「その〝いのち〟は心地よいと活性化し、輝きだします。

人は、人から愛され守られているという実感があると、心が安らかになり、元気になるものです。

暗い表情の人に寄り添ってお世話したら、その人は生き生きとなり、その人の個性がますます発揮されるようになります。

草花が日の光を浴びて輝きだすのと同じです。

「障がいのある人たちが表情を失い、陰りが見えているとすれば、こんな申し訳ないことはありませんー」

「あんしん」の職員の方々はそんな思いから、お世話している障がい者たちに、ご自分の〝いのち〟を発露させ、輝いてもらおうと、献身的な努力をされていました。」

と書かれています。

そして神渡先生は、

「障がい者のケアは私たちに〝いのち〟の深遠さを見せてくれ、いつの間にか〝いのち〟を拝むよう導いてくれていました。

いや人間のいのちだけではなく、生きとし生けるものすべての〝いのちを拝む〟よう導いてくれていました。」

と説いてくださっているのです。

「生きとし生けるものすべての〝いのち〟を拝む」というのは、宗教の理想とするところであります。

仏教や禅においても極地といってもいいでしょう。

特別な修行をしなくても目の前の人に精一杯尽くしてはたらくことで、こんな〝いのち〟の世界が開かれるのであります。

取材を終えた時の思いを神渡先生は次のように記されています。

「山々に囲まれた十日町で取材を終え、夕食を済ませて一段落すると、私は秋深い夜道にひとり散歩に出ました。

田んぼのあぜ道に沿ってせせらぎがちょろちょろと流れていて、思索を彩ってくれました。

時々立ち止まって夜空を振り仰ぐと、星ぼしがまたたいており、大宇宙の広がりの中を遊泳していました。

辺りは静謐が支配していて、星明りに包まれていました。

私は夜空の星ぼしの遥か彼方に〝大いなる存在〟の御手を感じ、自ずから手を合わせていました。」

というのです。

私は、本日の講演では、辻光文先生のことを話そうと思っています。

辻先生のことも神渡先生のご著書で学ぶことができました。

辻先生には「生きているだけはいけませんか」という長い詩があるのですが、『いのちを拝む』のなかで 神渡先生は短く要約してくださっています。

「いのちはつながっている!」と平易に言った人がいます。
それはすべてのものに、切れ目やつなぎめがない、東洋の「空」の世界でした。
虫も、動物も、山も川も、海も、雨も風も、空も、太陽も、
宇宙の塵の果てまでつながる“いのち”なのです。
すべては生きている、というより、生かされて今ここにいます。
その“いのち”の自覚の中に、宇宙続きの人間の感動があり、
愛が感じられるのです。本当はみんな愛の中にあるのです。
生きているだけではいけませんか。」

という言葉です。

こんな詩を紹介して、「いのちを拝む」と題して講演をする予定なのであります。

 
横田南嶺

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