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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.04.20
今日の言葉

厳しさとやさしさ

「最も偉大な師は、最もあなたを苦しめた人」という言葉を、ハリファックス老師が引用されていました。

菩薩は安易な道を選ばないということでした。

このことについて、ハリファックス老師との対談の中で話し合いました。

対談動画は、公開されるようになっています。

確かにこの言葉は、修行する者にとっては大事な教えとなります。

この世を生きるには、思うようにいかないことがあり、理不尽なことが多いものです。

苦しいこと、困難なことにであった時に、それこそが自分を成長させてくれるものだと受けとめて努力することはとても大切なのです。

困難を乗り越えることによって、成長もしますし、自信もつきます。

この問題についてハリファックス老師は、

「苦しみを与えている人にも苦しみがある、その相手の苦しみも軽くなるように願うというのは深いレベルの慈悲である」と言われました。

これはとても高いレベルの慈悲であります。

しかし、問題なのは、成長のためだと言いつつもわざわざ苦しみを与えるということです。

ハリファックス老師も、わざわざ無理に苦痛を与えることはないと仰いました。

鼎談に加わってくれていた藤田一照さんは、「禅の指導者が、修行者にわざわざ苦しみを与えるのが目的ではなくて、修行のためであり、本人の向上の為になるような困難を与えることが大切だけれども、単に苦しめればいいというものとは区別が必要である」と指摘されました。

ハリファックス老師も「どういう意図でおこなっているかが重要です。

役立つ形で、工夫された形で苦しみを与えているのかが問題です。」

と仰いました。

これが大事なところで、決して苦しみを与えるのが目的ではないのです。

一照さんは、

「それによって本人が育ってゆくような課題、困難を与えるように工夫することが必要です。

そこを間違えると、相手を苦しめることが目的になってしまう。」と指摘してくださいました。

ハリファックス老師は、とても難しい問題だとしながらも、

「文化の中に、いじめや人を侮辱することが組み込まれているような中では人は育たない、どんどん傷を深めるということがある」と仰いました。

そして「いじめや人をおとしめる文化の対比として、かわいそう、かわいそうといって同情するということもありますが、その二つの対極があります。

いじめる、軽蔑する、おとしめるというところから、かわいそうという同情まで幅があるなかで、本当に役立つ教えというのは、その真ん中にある」と示してくださいました。

「それが意図をもって相手が成長するような困難を与えることを教える側は知る必要があります。

軽蔑やいじめのなかでは相手は弱くなるだけです。

同情だけでも相手は弱まってしまいます。

しかし、その真ん中の意図をもって相手を育てるという困難は、相手に強さを与えたり、よりよくなろうという意志を抱かせることになり、相手に恩恵を与えることができます。

その結果本人も目覚めるきっかけとなる」と説かれていました。

なるほど深い洞察であります。

印象的だったのは、この長い英語の表現を通訳の方が見事に翻訳されたので、ハリファックス老師は通訳の方をねぎらってあたたかく抱擁されたのでした。

東洋にも「我を非として当(むか)う者は吾が師なり」という言葉があります。

『荀子』の言葉です。

自分の欠点やいたらないところを指摘し批判してくれる人は、自分にとっての師、先生であるという教えであります。

ハリファックス老師は、「文化の中に、いじめや人を侮辱することが組み込まれているような中では人は育たない」と仰っていましたが、日本の曽ての体育、運動の世界でもあるいは禅の修行の世界でも、そのような文化があったことは否めないのであります。

しごきというものがありました。

しごけば強くなるという理論でありました。

私なども中学、高校の頃には、当時の根性論でウサギ跳びなどを延々とやらされたことがありました。

そうして鍛えられるのだと教わってきました。

武道やスポーツの世界でも、昭和の時代には、いわゆる体育会系であり、根性論でありました。

禅の修行はもっと過酷でありました。

長らく先代の管長にお仕えしてきましたが、修行僧は徹底していじめて鍛えるという方針でした。

侮辱を与えて奮起させるというのであります。

獅子がわが子を谷底に落として、這い上がらせるというものです。

ついて来られる者だけがついてくればいいという考えでありました。

これによって鍛えられるという一面もありました。

禅僧としての鋼が鍛えられるということもあったのは事実であります。

私などもそうやって鍛えていただいたおかげだと感謝しています。

しかし、世の中全体も大きく変わり、修行に来る人もずいぶん様変わりしました。

頭から否定するだけでは、育たないことが多くなってきました。

そこで私もあれこれと指導を工夫するようになってきました。

先日西園美彌先生にお越しいただいて足指と股関節のワークを教わっていました。

この春修行道場に入った者にとっては初めての経験です。

西園先生の教え方は、なんといっても理論が明晰であります。

理論でしっかり説明してくれますので、納得して学ぶことができます。

無理のない動きがほとんどなので、苦痛なく学べます。

しかし、そんな中に少しばかり痛みに耐えるということも入っています。

それでもしっかりとした理論を学び、苦痛なくできる中に組み込まれていますので、それくらいなら乗り越えられると思ってできる苦痛なのです。

少々の苦痛でもそのあとにはねぎらいが必ずございます。

そうして全体として楽しく学ぶうちに、体が変わってゆくのであります。

初めての修行僧達も終わった後には立った姿、坐った姿勢が変わっているのです。

充実した感じがする、力がみなぎってくるなどと言ってくれていました。

西園先生も厳しい指導を耐え抜いて来られた方だと思いますが、その指導方法はよく工夫され、そして洗練されたものなので、毎回私自身受講して学ぶことが多いのであります。

まだまだ工夫が足りないと反省しているのです。

 
横田南嶺

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