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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.02.08
今日の言葉

食べる瞑想

『食べる瞑想Zen Eatingのすすめ: 世界が認めた幸せな食べ方』という本が、一月の末に出版されました。

その本の著者が、ももえさんであります。

そのももえさんがわざわざ本を持ってきてくださいました。

ももえさんには、一昨年に円覚寺で食べる瞑想Zen Eatingの講座を開いていただいたことがありました。

お久しぶりにお目にかかったのでした。

本を一冊作るというのは、たいへんな苦労なのです。

まして初めての出版となるとなおさらです。

ももえさんも二年がかりで作ったと仰っていました。

この食べる瞑想からも学ぶことがたくさんありました。

学ぶというよりも反省させられたのでありました。

私ども禅宗では丁寧に食事をしているように思われています。

そんな食べる瞑想など習わなくてもいいではないかと思われたりします。

たしかに、食事には細かい作法があり、丁寧にいただいているように見ます。

しかし、実際はというと、食べる前にはお経をあげていますし。作法も細かく決められていますが、いざ食べるとなると、あっという間にろくに噛まずに飲み込むということが多かったのでした。

特に朝のお粥などは、お経を読む時間は長いのですが、いざ食べるとなると、飲み込んでしまって終わりなのです。

どういうわけか、修行道場ではなんでも早くやれ、早くしろとせかされるものですから、肝心の食べることもさっとかき込んでしまって終わりなのでした。

ゆっくり噛んで味わうという習慣はありませんでした。

これでは健康によくありません。

修行道場ではよい習慣を身につけてほしいと願っていますので、ももえさんに講習をお願いしたのでした。

この本の巻末にあるエピローグにももえさんの思いがあますところなく説かれていますので、引用させてもらいます。

「エピローグ
生きる喜びを味わう」

と題して、ももえさんはまず最初に、

「私は人生をかけて「生きる喜びを味わいつくす」ことを、探究してきました。」
と書かれています。

この一文にももえさんの人となりが現れています。

どうしてそのような探求をなさるようになったのかというと、

「きっかけは、父をヘリコプターの事故で失った経験でした。当時十四歳の私にとって、仲のよかった父の死は目覚めの鐘、 wake up call でした。

それから、後悔のないように毎日を生きたいと思いながらも、どうしたらよいのかわからず命いっぱい生ききるためのヒントを探していました。」

というのです。

そしてももえさんは

「翌年十五歳の夏、京都の禅寺で「吾唯足るを知る」と書かれた石を見つけ、目が離せなくなりました。

当時はそれが禅の教えとは知らなかったのですが、その石が「失ったものではなくて、今、手にしているものに感謝することが幸せへの道だ」と教えてくれた感じがして、心がスーッと明るくなりました。」

という体験をなされたのでした。

その後にももえさんは世界中を旅したり、インドでは電気も水道もない暮らしをしたり、厳しい食事制限をしたりしながらも、「食べる瞑想」に出会ったのでした。

「体のすべてを使って深く味わうこと、食べ物を消化できる健康な体に感謝すること、命をいただけていることに感謝すること。これこそ私が求め続けてきた 「生きる喜びを味わう」ことであり、命いっぱい生ききること」だと気がつかれたのでした。

そこでももえさんは、「Zen Eatingは私にとって「生きる喜びを味わう道」です」と語っておられます。

ではその食べる瞑想Zen Eatingとはどのようなものか、それは本書をご覧いただくのが一番なのですが、そのほんの一部だけを紹介しましょう。

ほうれん草をいただくことが瞑想になるのです。

まず「ほうれん草がどんなところから来たのかを想像することで命とのつながりを感じてみます。」とももえさんは書かれています。

瞑想の実際について一部を引用させてもらいます。

「一口いただきます。
味わいながら、想像しましょう。

このほうれん草は、初めはどんなところにいたのでしょうか。
畑が浮かびますか。どんな畑が浮かぶでしょう?

産地の地名を知っている必要はありません。どの土地から来たかではなく、どんなところで育ったか、風景を想像します。

ほうれん草は最初はひと粒の種だったでしょう。種が畑に植えられます。

種からほうれん草になるまでには、どんなことがあったでしょう?

まず、種から小さな芽が出て、育つのに何日かかかります。

雨や土の中の滋養など、自然の力があって芽が出ます。

芽が出たら太陽の力も受け取ります。

地球の外からも恵みをもらっていますね。

たった一皿、一口の中に、何カ月もの時間があります。

人の助けもありますね。

収穫まで、農家の方たちが手をかけてくれます。

ここまで運んでくれた人、売ってくれた人もいます。

よりおいしく食べられるよう、手軽に食べられるように考えてくれた人、料理をしてくれた人もいるかもしれません。

ひと粒の種だったほうれん草が、今目の前に食べ物として存在するまでの旅路。

どのくらいの時間と、どれほどの手間がかかっているでしょうか。

あなたの一口は、地球の営み、人々の営みの結晶です。

奇跡の一口、とも考えられますね。

では、地球や宇宙に支えられている安心感に包まれながら、飲みこみましょう。」
というのであります。

本書には各所にQRコードがあって、それを使って音声を聞くことができるのです。

もちろんのことももえさんのお声であります。

こうしてほうれん草をいただくと、どれほどおいしく豊かな心になれるでしょうか。

ももえさんは、

「地球と宇宙の支えでほうれん草ができていることを感じましたね。

私たちは、つながりの中でほうれん草をいただいているのです。

「一杯のお茶の中に、森羅万象(宇宙に存在するすべてのもの)がすべて入っている」という禅のエピソードを、ある禅の勉強会で学びました。

私はそれから、お茶や野菜、お米を見るとこの禅の話を思い出して、本当にありがたいものに感じるようになりました。

一皿のほうれん草に、お茶碗の中の小さなお米。

ここにはほうれん草やお米の育った時間とそれらが育つことを助けた自然が入っています。

空気も土も雨も、育つ過程で関わった人も、全宇宙が入っている、そんな視点で見てみると、自分も地球とのつながりや循環の中で生かしてもらっていると思えてきませんか。」

と書かれています。

あわててただ食べ物を口のなかに入れて飲み込むだけでは、もったいないことなのです。

落ち着いて深く瞑想に入っていただくのであります。

そうすれば瞑想として心も安定しますし、体にもよいことになるものです。

『『食べる瞑想Zen Eatingのすすめ』、実に丁寧によく書かれた本ですので、お薦めします。

 
横田南嶺

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