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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.01.13
今日の言葉

敵は忍耐を教えてくれる

『ダライ・ラマの仏教入門』という本を修行僧達と共に輪読していました。

その中に「敵は忍耐を教えてくれる」という章がありました。

一部を引用させてもらいます。

まず、

「清く正しく「戒律を護る」(持戒)ためには、「忍耐」を陶治することが必要とされます。

「忍耐」の修行は、自分と他人を平等にみなす修養を行なう支えとなるものですので、非常に大切なのです。」

と書かれています。

大乗仏教の大切な修行に六波羅蜜があります。

布施、施しをすること、持戒、よい習慣を身につけることの次に、忍辱、耐え忍ぶことが説かれています。

そのあと、精進努力すること、禅定、心を静かにおさめること、そして智慧の六つなのであります。

ダライ・ラマ猊下は、

「「忍耐」の修行は自他を平等にみなす修行の基礎となります。

なぜなら、宿敵に対して愛や尊敬の念を生むことはもっとも難しいからです。

「忍耐」の修行の観点から宿敵を見れば、宿敵はあなたに「忍耐」を教えてくれる慈悲深い修行の援助者です。

あなたは「私を害する人がいなければ、自らの災いについて忍耐することを学ぶことはできない」ことが分かるようになってきます。」

と書かれています。

ダライ・ラマ猊下は、シャーンティデーヴァの言葉を引用されています。

それは、

「布施をする人はたくさんいるが、忍耐を修行できる人はほとんどいない」というのです。

施しよりも忍耐の修行は難しいのであります。

ダライ・ラマ猊下は、

「そして希少なものほどより価値があります。

宿敵は本当にありがたいものです。

なぜなら、「忍耐」を陶治することによって、功徳の力を増すことができますが、その「忍耐」の修行は宿敵のいることによってのみ可能となるからです。

このため、宿敵は功徳の力が増すのを助けてくれる最高のものなのです。

宿敵は宗教の修行を妨げるどころか、修行を助けてくれるものなのです。」

と説かれています。

私たちが読んでいる経典に『菩薩願行文』というのがありますが、そのなかに、

「たとえ自分に対してまるで仇敵になって、この私をののしり苦しめるようなことがあっても、これは自分が遠い過去から知らず知らずのうちに人を傷つけてきた、わがままな思いから造ってきた罪業を、いまこうしてののしり苦しめられることによって、その罪が消えてゆくと思って、何を言われても何をされても頭を下げて、むしろ拝んで言葉を丁重にしてへりくだってゆけば、私たちの心に蓮の花が花開き、蓮の花に仏さまが現れ、どこもかしこもそこが浄土になり、どこにいてもそこに仏さまの光明が光り輝きます。」

という意味の一節があります。

これは『金剛経』にある、

「立派な若者たちや立派な娘たちが、このような経典をとり上げ、記憶し、誦え、理解し、十分に思いめぐらし、また他の人々に詳しく説いて聞かせたとしても、しかもそういう人たちが辱しめられたり、また甚しく辱しめられたりすることがあるかも知れない。

これはなぜかというと、こういう人たちは前の生涯において、罪の報いに導かれるような幾多の汚れた行為をしていたけれども、この現在の生存において、辱しめられることによって前の生涯の不浄な行いの償いをしたことになり、目覚めた人の覚りを得るようになるのだ」(岩波文庫『般若心経・金剛般若経』より)

と書かれていることがもとになっているかと思います。

こんな言葉を思い出していると、やはりダライ・ラマ猊下も

「苦しみが起きる前にそれを避ける方法を身につけておくのは重要なことです。

しかし、いったん苦しみが起きてしまったなら、それは重荷としてではなく、私たちを助けてくれるものと捉えるべきでしょう。

理由はたくさんあります。

この人生においていくつもの小さな苦しみに耐えていくことを通じて、あなたは前の人生において積んだたくさんの悪い業を浄化することができるのです。

また、このような姿勢はあなたが輪廻のさまざまな弊害に目を開くことにも役立ってくれます。

そして、苦しみに耐えれば耐えるほど、あなたは悪い行ないに対してさらに嫌悪の情を起こすようになるでしょう。

忍耐は解脱の素晴らしさや利点に目を開かせてくれます。

さらに、あなたは自分の苦しい体験を通じて、他人の痛みを推し量ることや、彼らのために何か手助けをしたいという意欲を生じることも可能になるでしょう。

したがって、苦についてこのように考察を行なえば、苦しみは修行と考察を行なうための絶好の機会を提供してくれるものと見ることができるでしょう。」

と書かれているのです。

なんの世界においても、嫌な先輩、苦手な上司というのはいるものです。

そういうものを避けて一生を送る事は困難であります。

修行の世界にしても同じであります。

私なども今振り返ってみると、苦手な方もいらっしゃいました。

それでも、こういう経典の言葉を読んでいると、そういう人に出会って、罵り苦しめられることによって、自分の誤ったものの見方が正されていくのだと思えば、苦痛も和らぐものです。

その当時には、有り難いとまでは思えなかったのでありますが、今になって振り返ってみると、皆有り難いご縁だったとしみじみ思うのであります。

嫌な人は、私に忍耐を教えてくれる最高の教師だと思ってみるのもよろしいかと思います。

 
横田南嶺

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