日常の暮らしの中での修行
わざわざ訪ねてきてくださったのでした。
笑い文字というものがあることを、私は存じ上げませんでしが、実に見ているだけで心が和む文字であります。
お目にかかってみると、その表情が素晴らしい方でした。
ほほえみがあふれていらっしゃるのでした。
私の書籍も読んでくださっているとのことで、廣江さんの方もとても喜んでくださいました。
お茶を飲んでいる間に、今日の出会いを笑い文字にしてくださったのでした。
それが今表示している絵葉書なのです。
いつも、葉書と筆ペンを持っていて、どこでも書いてあげるのだそうです。
こういうことができると素晴らしいと思いました。
私などは、何か書くとなると、硯を用意して墨をすってとなりますが、どこでも筆ペンでさらりとお書きになるというのです。
円覚寺に来るまでのタクシーの中でも書いて、タクシーの運転手さんに差し上げたと仰っていました。
また最近、小さなお地蔵さまもお作りになっているとかで、できて間もないお地蔵さまも頂戴しました。
なんとも有り難いことでした。
こういう何か人に差し上げたいという心が利他の精神であり、大乗仏教の大切なところなのです。
そんな素晴らしい出会いがあった日の晩に、修行僧たちと共に、『ダライ・ラマの仏教入門』の本を輪読して勉強していました。
その中に、次の言葉がありました。
少々長いのですが、引用させてもらいます。
「仏教の修行にはさまざまなレヴェルがあります。
いちばん簡単な修行は、私がいつも言っていることですが、可能なかぎり他人を助けてあげることです。
もしそれができないならば、せめて他人を傷つけないことです。これが中心的な修行です。
声聞の教え(小乗仏教)のエッセンスは他人を傷つけることをやめることにあります。
一方、大乗の教えのエッセンスは利他の精神ー他人の救済ーにあります。
これを修行の段階という見方から述べてみましょう。
まず最初の段階では、悪い行ないを控えて「十の良い行ない」(十善行) をなし、修行の段階に応じた戒律を守り、より修行が進んだ段階では、もっと利他的な行ないに従事し、それに相応した誓いをたてることが望ましいでしょう。
十の良い行ない (十善行)
殺さない、盗まない、邪な情欲を抱かない、嘘をつかない、悪口を言わない、荒々しい言葉を用いない、意味のない言葉をしゃべらない、貪らない、怒らない、邪な考えを持たないという十項目である。
このような「十の良い行ない」をある状況下で破ってしまったときでも、自分や他人を責めてはなりません。
たとえば、ある人が私の教えを受けるために嘘をついて会社を休むとします。
その場合、この嘘がそのまま悪い行ないとなって残るか、その行ないの報いが起きないかは、ひとえにその人が私の教えからどれだけ多くの恵みを得るかにかかっているのです。
もし、その人がその教えを修行において実行し、それによって人生に何かを得ることができたならば、それは価値あることです。
恵みがあるかないかは、その人が教えを自分のものとできるか否かという要因にかかっているのです。
社会に貢献する傍らで、自分自身の内側で心の分析と修行を行なうことは十分可能なことです。
たとえば、あなたはいつものように会社に行き、仕事に従事してから家に帰ります。
そして深夜の娯楽を犠牲にしてもベッドに早く入ることに努め、翌朝は早起きして分析的瞑想を行なうのです。これは十分に価値あることでしょう。
それから十分な朝食をとり、あなたの学校や勤めている会社にゆっくり向かいましょう。
もし、あなたに時間的余裕があるのなら、ときには二~三週間お寺に入って修行してみることもいい経験になるでしょう。」
というのであります。
修行というと、特別に山にこもって何かしなければならないというものでもないのです。
苦行のように苦痛に耐えなければならないというものでもありません。
もっとも専門家になるには、そのような修行も必要でありますが、これも注意しないと、特別なことをしたという思いが、自我を増長してしまうことにもなりかねません。
大事なことは、ダライ・ラマ猊下が仰せになっているように、他人の為になにかしてあげることでしょう。
それが施しで、思いやりのある言葉をかけてあげることなどです。
ほほえみを施すこともできます。
それから他人を傷つけないこと、これが大事であります。
しかし、厳密には全く他人を傷つけずに生きることは難しいものです。
どこかで知らないうちに、誰かを傷つけているのが、お互いであります。
まずそのことを自覚することです。
それにはやはりダライ・ラマ猊下が仰せになっているように、自分自身の内側で心の分析をする必要があります。
申し訳のないことだと慚愧して、少しでも何か人に喜んでもらおうと思って、笑顔で暮らす、あたたかい言葉をかけてあげるということが、日常の中でできる修行であります。
横田南嶺